おばあちゃんのひとりごと

Archive [2014年05月 ] 記事一覧

「ときには巧言令色の必要がある」と述べた福沢諭吉

「十八史略の人間学」伊藤肇著より ……福沢諭吉と池田成彬…… 子曰く、巧言令色、鮮(すくな)し、仁。(言葉巧みにお上手を言うのや、うわべだけいかにもとりつくろって愛想がいいのは、本当の人間味のない証拠である)  三井財閥の大番頭だった池田成彬が慶応義塾に学んで福沢諭吉の講義を聞いた途端にトコトン福沢嫌いとなった。 諭吉53歳、成彬20歳、演題は「学生の野蛮粗暴なる態度を正そう」というところにあったが、...

スターリンの遺書

「十八史略の人物学」伊藤肇著より…スターリンの遺書… スターリンが死の床に横たわっていた。その周囲を後継者の椅子を狙う野心家どもが、心配そうな顔をしてうろつきまわっていた。 突然、スターリンがフルシチョフを読んで彼の耳元でささやいた。「君はわしのあと釜に座ることになるのだが、時がたつにつれて、誰もが君に白い眼を向けはじめるだろう。もし、そうなったときには、クレムリンの地下室に私が残しておいた、二通の...

刺客をも包み込む西郷さん

 「人間的魅力の研究」伊藤肇著より 刺客をも包みこむ西郷のふところの   会わずには推量すらできぬ並外れた大きさ……おしかけてきた刺客相手に…… 維新後、茨城県知事となった人見寧という人物がいる。 若いころ、海舟のところへ出入りしており、ある時、「西郷先生にお会いしたいので紹介状を書いてください」と頼んだ。 海舟が、そのわけをきくと、どうやら西郷を刺しに行くつもりだった。そうと知った以上は言を左右して...

朝顔は朝の光だけでは咲かない。五木寛之さんから聞いた。

「小さな人生論」藤尾秀昭著より -自分の花を咲かせて生きる― 心臓の鼓動を聞いたことがあるだろうが、胸に手を当てて聞くあの音ではない。心臓が血液を全身に送り出す源流の音である。 ズビィーン、ズビィーンとも聞こえる。 あるいは、、 ビィーコッ、ビィーコッ友聞こえる。それらを総集したような音である。 ともかく、懸命な音である。ひたすらな音である。心臓は昼夜二十四時間、一瞬の休みもなく、血液を全身に送りだ...

「生類憐みの令」の廃止をした家宣将軍

「人間の器量」童門冬二著より 巧みに混合された「ぬくもり」と「きびしさ」 家宣のこの態度は、医者に対してだけでなく、家臣の管理に対しても同じだった。「人にはそれぞれ特性がある。その特性が性の合う人と合わない人がある。上役と部下の関係も、そのへんを含んで人事を考えなければならない」そういっていた。 綱吉が死んで家宣は将軍になった。綱吉の寵臣だった柳沢吉保がきてこういった。 「私は綱吉様のご寵遇をうけ...

六代将軍家宣・名もない将軍にも賢君はいた。

「人間の器量」童門冬二著より  ーー安易に人をきめつけてはならないーー   ーー省略ーー 六代目の将軍徳川家宣。前代の綱吉が「人間を犬のしたにおく」という、有名な「生類憐みの令」で、世界史に類も例のない価値の倒錯社会をつくり出して、日本中をあきれさせたから、家宣の影が薄いのだ。 家宣は元の名を綱豊といって、甲府城主だった。綱吉の養子になって次期将軍の座を約束された。   ーー省略ーー その家宣が将...

ニセモノのチャーチルを見分ける眼力がある

「光に向かって100の花束」ーニセモノのチャーチルを見分けよー かの有名な、USスチール社の社長、ある日、ひとりで社の、自分の部屋までいってこなければならぬ急用ができた。 会社の正門はさしかかると、門番の男がはばんだ。「時間外ですから、どなたさまも、お入れすることはできません」「俺は社長のシュワップだ」「社長さんのお顔を存じませんので、失礼ですが、あなたが社長である証拠をおみせくださいませんと、お...

神仏拝まぬ先に親拝め・・・吉田松陰の言葉

「ゆっくりしいや」大西良慶著より ー省略ー 明治維新に活躍した吉田松陰は、「神仏、拝まぬ先に親拝め、親にましたる神仏なし」と言ったと言う。母親を仏様として拝むのやね。拝むよりほかに、恩に対する表現はないわね。  維新といえば、幕末の志士に大きな影響をあたえた頼山陽に逸話がある。京都を山紫水明と讃えた人やの。  この人がまだ書生時代、安芸から出て、京都の三本木で勉強していた。勉強して楠公伝を書いた。南...

「面白かったのう」と息をを引きとった高杉晋作・

「さわやかに死をみつめる80の話」公方俊良著よりーー「夢」の意味するものーー 沢庵は、多方面に活躍した禅僧です。宮本武蔵や柳生宗矩に剣術の奥義を説いたり、大寺の住職に迎えられたり、幕府に反抗して流刑に処されたり、将軍の尊崇を受け寺院を開山したりと、七十三歳の生涯を精いっぱい生き抜いた人といえましょう。 沢庵は、体に障害を感じてひそかに死期を悟り、絵師を読んで一円相(一筆で丸を描いたもの)を画かせ、...

山岡鉄舟の持論「本当の救いとは・・・」

「禅の名言」高田明和著より -人にはすべて能不能ありー 山岡鉄舟の持論は「自分でやっていけない者だけを面倒みる。自分でやっていける人には、手を出す必要はない」というものでした。 小倉鉄樹さんは鉄舟の弟子で、日本画家で文化勲章をもらった小倉遊亀さんのご主人でしたが、鉄舟のことを俺の師匠と呼んで、数々の逸話を記録しています。 彼は鉄舟のこの言葉を継いで「不遇の者を救ってやるのがほんとうの救いだ。順境に...

半兵衛が信長よりも秀吉を選んだわけは・・・

「人間の器量」童門冬二著より ー半兵衛にさらわれた信長と半兵衛をとりこんだ秀吉の差ー  山に秀吉が訪ねてきた。雑談をして帰ってゆく。ちょいちょい来る。が、半兵衛は秀吉の来訪の目的を見抜いていた。信長が何としてでも半兵衛を家臣にしたいのだ。やがて半兵衛はいった。「あなたには根負けしましたな。お仕えしましょう」「それは!主人の信長が喜びまする」「いや、私がお仕えするのはするのは、信長様ではありません。...

「鬼婆ぁと人はいうらん」税所敦子さんの歌。

「ゆっくりしいや」大西良慶著より ー省略ー  明治時代、京都に税所敦子さんという人がいた。清水寺の観音さんの熱心な信者でね。この人が、「母の十恩」という題で、清水寺へ、歌を上げてはった。明治時代やね。 いまは、もうない。 この税所敦子さんがよくできた人でね。鹿児島から出てきていた旦那さんと結婚して、税所姓になったんやが、旦那さんに死に別れ、旦那さんとの間に儲けた子供にも死に別れ、鹿児島の旦那さんの...

未来ある者は(目前の金子に目もくれぬ)新井白石ごとき信念を

「光に向かって100の花束」高森顕徹著より  -だから青年白石は三千両を拒否したー         {借金は未来を開拓する} 徳川六代将軍・家宣に仕えて、敏腕をふるった政治家・新井白石が、まだ無名の一学徒であったときである。 当時の碩学・木下順庵のもとで、昼夜勉学にいそしんでいたころ、友人に河村瑞賢という富豪の息子がいた。 白石が貧困と戦いながら勉学に励んでいるのをきいた瑞賢は、白石の学才の優れて...

少なくとも一日に一人を喜ばせよ。

「光に向かって100の花束」高森顕徹著より にこやかな笑顔と 明るいあいさつほど 世の中を楽しくするものはない ジョン・ワナメーカー氏は、デパート王といわれる。 店員募集の広告を見て、一人の青年がやってきた。 みずから面接したワナメーカー氏の質問に彼は、 「イエス」「ノー」 と適切に即答して少しの誤りもなかった。 体格も立派だし、学力も十分。 同席者は採用を確信して疑わなかった。 ところうが、不合格...

「感動しました」・・光圀の若き日の教訓・・

「人生の師」童門冬二著より ー気が短くても素直であれば取り返しはつくー 徳川家康は自分の後を次男の秀忠に継がせたが、九男の義直、十男の頼宣、十一男の頼房にはそれぞれ新しく家を興させた。義直には尾張家、頼宣には紀伊家、頼房には水戸家である。 この三つの家を「御三家」と言った。 御三家の役割は、もし徳川本家に後継ぎが絶えた場合は、「誰を次の相続人にするか」ということを相談して決めるという役割を負ってい...

秀吉も家康も竜馬も愛嬌のある男だ。

「人間というもの」司馬遼太郎著より「豊臣秀吉も徳川家康も、だまっていてもどこか愛嬌のある男だった。明智光秀は智謀こそそのふたりよりすぐれていたかもしれないが、人に慕い寄られる愛嬌がなかったために天下をとれなかった。英雄とは、そうしたものだ。たとえ悪事を働いても、それがかえって愛嬌に受け取られ、ますます人気の立つ男が、英雄というものだ。竜馬にはそういうところがある。ああいう男と喧嘩するのは、するほう...

山之内一豊の妻千代(秘訣)

「人間というもの」司馬遼太郎著より {余白に}より        谷沢水一        ー省略ー たとえばまた「功名が辻」における山内一豊の妻千代。 千代は、利口さを、 「無邪気」 で擬装していた。利口者が、利口を顔に出すほどいや味なものはないということを、この娘は、小娘のころから知っている。 だから、だれからも愛された。 すべての女性に語りかけるような思慮の深い口調である。 千代は、決してのん...

……事実が人間を見ているから……

「十八史略の人物学」伊藤肇著より ーー情報収集の三原則ーー 日本一の企業参謀といわれる伊藤忠商事会長の瀬島龍三は、「歴史を無視すれば、歴史に処断される」とよく言うが、その歴史の基礎となる情報収集の姿勢を三つあげている。★  われわれは、ともすると、目先の現象だけを追いかけやすいが、それでは、ダ   メだ。社会現象には、必ず、大きなワク組み、大きな流れがあって、その中で   変化が起きるのだから、ま...

その昔・「万博」での石坂泰三・佐藤栄作・

「十八史略の人物学」伊藤肇著より --石坂泰三の呼吸ーー 応対辞令がピシャリと決まった事例を紹介したい。 既に亡いが、経団連会長で「財界の総理」と言われた石坂泰三が、政府から拝みたてまつられて「万博」の会長を引き受けたときのことである。 本来が、政治家とか、官僚というやつは無責任なもので、頼むときはあれほど頼んでおきながら、いざ金を出す段になると渋りに渋って、予算措置をスムーズにやらない。そうなる...

それが何よりもの親孝行なのです。

「幸せは急がないで」青山俊薫          瀬戸内寂聴 遍 ーー自分の心と体をいとおしめーー 忘れもしません。昭和28年7月30日午前10時45分のことでした。 この月心寺の門前で、八百屋の親父さんからお昼のお采を買うとるとき、私は自動車にはね飛ばされました。 仮死状態で病院に運び込まれ、1年後に退院しましたが、私の右腕と右足は、私の生きている限り、再び私の意思通りに動いてくれることはなくなってしまった...

耐えるというその一語の重さである。

「小さな人生論」藤尾秀昭著よりーー霜に打たれた柿の味、辛苦に耐えた人の味ーー 「霜に打たれた柿の味、辛苦に耐えた人の味」--しみじみと胸に響く言葉である。軒端に吊るされた渋柿は冬の寒天にさらされ、霜に打たれることで何とも言えぬ美味に染まる。人間も同じである。辛苦に耐えることで人としての風味を増すのだ。 ある文芸評論家が、こう言っている。 「日陰がなく、日向だけの男は暴力である」 病気を知らず、逆境...

緒方洪庵に学んだ福沢諭吉・・・

「人生の師」童門冬二著より 緒方洪庵は、(岡山県)足守藩藩主木下氏の家臣の家に生まれた。父は大阪の同藩蔵屋敷の留守居役であった。そのため、洪庵も大阪に住んでいた。これは、福沢諭吉の父親が、やはり(大分県)中津藩の大阪蔵屋敷の役人であったのと似ている。そう言う点、後に洪庵が諭吉を非常に可愛がる一つの理由になったかもしれない。 洪庵は、そういうように大阪蔵屋敷の役人の子だったが、その道を選ばなかった。...

父の教えをいまだに尊いと思っています。

「人生の師」童門冬二著より ーー人に ”心のムダずかい”をさせてはならないーー 石田梅岩は京都の商人で、当時「士農工商」の身分制に苦しんだ商人に、大きな励ましを与えた人物だ。梅岩はこう言った。 「武士社会における忠義という考え方は、本当は部下の武士が頭とからだを使って主人に奉仕する労働に過ぎない。したがって、主人と部下との関係は、言ってみれば一つの契約だ。 そう考えると、商人も同じではなかろうか。つ...

心の奥底での「神と悪魔との戦い」

「帝王学」伊藤肇著より -瀬島龍三の祈りー 風雪に耐えたからといって、よくなる人間ばかりとは限らない。 「貧すれば、貪する」の諺もあるように、風雪に耐えたばかりにかえって悪くなる人間も多い。同じ苦労をするとしても、よく身につくのと悪く身につくのとでは雲泥の差である。 伊藤忠商事の瀬島龍三会長は、敗戦の直前、第本営参謀として満州へ飛び、聖断を伝えて帰国しようと新京飛行場へかけつけたとき、一人の負傷し...

三歳までにしなければならない仕付け(躾)

「人生、心がけ」庭野日敬著より ー躾よりも仕付けをー ー省略ー 精神医学が専門の一橋大学の稲村博先生によると、いまの子どもたちは退忍性が極端に弱いというのです。退忍性とは学術用語で、つまりは、ものごとに耐える力がない、がまんを知らない子どもが多くなったということでしょう。 わるさをしている子どもに、親が「お利口さんだから、およしなさい」と、やわらかくいい聞かせるだけでは、子どもは善悪の基準がわから...

「君たちは虫、僕は蛍」偉大な政治家チャーチルの言葉

「偉人は未来を語る」大橋健二著より チャーチル  -蛍への自負ー{深い安堵感}「片手に剣、片手にペン、背中に政治を背負って生まれた」と評されるチャーチルは、名門貴族モ―ルバラ家に1874年に生まれた。侯爵家の出である父は大蔵大臣をつとめた。 手に負えない腕白で学校嫌いだったチャーチルは、8歳でセント・ジョージ校に、入学したが、教師と学校当局に反抗し、校長のわら帽子を蹴ってボロボロにした。 10歳の時、図工...

「論語と算盤」渋沢栄一を思いつつ・・・

「偉人は未来を語る」近代批判としての偉人論 大橋健二著より --論語とソロバンーー 日本実業界の祖と評される渋沢栄一は、明治という時代を代表する「偉人」の一人である。   ーー省略ーー 渋沢が人生の書として「論語」を座右に置き、その経営哲学を「論語と算盤」という言葉で表現したことはあまりにも有名である。 「論語に到っては、一言一句悉くこれ日常処世上の実際に応用し得る教えである。……余はかく信じて論語...

「ここに生き神様が…」ロダンのことを言った、詩人リルケの言葉

「小さな人生論」藤尾秀昭著よりーー「我流」を行くーー 無名の彫刻家ロダンは孤独の中で黙々と修業を積み、密かな成熟を遂げた。そして1864年、24歳のとき、一つの作品を発表する。 「鼻のつぶれた男」である。だが、ロダンの成熟は当時のサロンには理解されなかった。作品は落選した。ロダンはふたたび沈黙する。この沈黙はそれからロダンが若者の像「青銅時代」を発表して世間の注目を集めるまで、実に13年も続くのである。 ...

リンカーンとケネディの暗殺の不思議な偶然?

「偉人は未来を語る」      {近代批判としての偉人論}大橋健二著より  大統領の暗殺 リンカーンが、南北戦争Civil warの殉教者であったとされるは、1865年4月に南北戦争終結5日後に暗殺されたかるあである。 アメリカ大統領で暗殺されたのはリンカーンをはじめとして第二十代ジェムス・A・ガーフィールド第二十五代ウイリアム・マッキンレー・、第35代ジョン・F・ケネディの四人である。 余談なが...

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フェアリーグランマ

Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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