おばあちゃんのひとりごと

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「人間の死は、いつも早すぎるか、遅すぎるかのどちらかである。だが一生はちゃんとケリがついてそこにある」 サルトル

 ひとは、だれしも、おのれひとりの生涯をひとりで生き、おのれ  
 ひとりの死をひとりで死ぬものです。                  
                             ヤコブセン (デンマークの作家)  
  
 
 なんでもが、思えばそのとおりよね。ひとり。ひとりです。
 うっふふふ。でもね。考え方いろいろで、家族があり友人があり
ご近所さんやら、ありがたいこと……ですよね。ひとり? うん。
でも、ひとりじゃぁない? ひとりかなぁ? うっふふふ。
   
   考えるとね……。まぁいいか。

 あんなに暑かった夏も、なんだか急に涼しくなり戸惑いますね。
まだ昼間は、なかなか日差しが強く暑いですが、でも秋ですね。
なんていうか、一気に秋を感じて、もう日暮れが早くなりました。
日本の四季の美しさや、大自然の素晴らしさを感じるのです。
 こんな時は、秋の夕焼けの美しさをゆっくり楽しみたいものです。

 「人は皆、30数億年の歴史を背負い、50兆の細胞生命によって
  この体が構成されている」
            京都大学元総長 平澤興先生

 「吹けば飛ぶゴミのような命を、宇宙が総力をあげて生かしてく
  れている。ゴミの命と天地宇宙とかけあう価値ありと知れば、
  手を合わせないではおれなくなる」
            医学博士 米沢英雄先生
 
 小さい頃は、その夕焼けも美しいというより、当然であり、見る
のではなく、過ぎていく……なんとなく感じてました。しかし、こ
の中で生かさせていただける幸せを思うのです。ありがたい……と。
 ついつい手を合わせているわたしです。知らずに知らずに……ね。

      親の役割は子供に勉強を
      教えることではありません
      生きるということは、
      世の中に出て偉くなることではない
      自分に与えられた才能で持って
      他人を一人でも
      幸せにするのが
      生きることの目的なのだ―――
      こう教えてほしいと思います。
         瀬戸内寂聴「寂聴 仏教塾」より     

  
 
   ☆☆幸せいっぱいになあ~れ☆☆     
 
       考えれば 
     考えるほどに   
      この考えとなる 

    すべては自分……から      
     
     自分のつくる因   
     そして自分の果を   
     だからそう思うとね

    もう一歩 しっかりしないとわたし  
  
    じぶんのことなんだな
    だからねぇもうこれしかない
    笑顔で生きる

    老いを重ね
    やっと 
    気が付いたんです
 
    せっかく生きて老いたんだから
    逝くまでには……誰も みんな
    幸せいっぱいになあ~れ
 
-----------------------------------------------------
  人間的魅力の研究                  
                            伊藤肇 著  

 名僧知識の死に方  
 
 人間の,「絶対」という言葉を本当にいいきれるのは, 
「死」 についてだけである.いかなる人にも「死」 は絶
対確実 にやってくる。日ごろ、口にしたり、考えたがら
ないだけのこと である.「死」が現実になった時、われ
われの心の動きをみると、第 一には、死そのものに対す
る漠然とした不安感がある。モンテ ーニュはそれを
 
「死んでしまうがいやなのではなく、死ぬの がいやな
んだ」 

と表現したが「死」の恐怖はそれを期待するところにあ
る。第二には、家族や友人を後に残しておくの気がかり
や悔恨。「懐かしい人々」と今生の別れをしなければな 
らぬつらさ、悲しさ。 第三には、まだしたいことが残
っている、 という未練、実存哲学のサルトルが
 
 「人間の死は、いつも早すぎるか、遅すぎるかのどち
らかである。 だが、一生はちゃ んとケリがついてそこ
にある」

 といっているにもかかわらずで ある。 
 第四は肉体的苦痛に対する覚悟のほど、などが列 挙さ
れる。しかし,それらのものをパアッと放りだして、洒々
落々の境地 で勧化するのが禅の悟りである。
 だから名僧知識といわれる ほどの禅僧は、だいたい、
三つの死に方を選んでいる。    

 座脱――坐禅を組んだまま成仏すること。  
 火定――火の中へ飛び込んで成仏する。    
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の偈を遺した 恵林寺
快川和尚はその典型である。  
立亡――立ったまま枯れ木のごとく死ぬ。 
 妙心寺の関山和尚は、ある日、さりげない調子で道友
たちに いった。

「皆、いろいろやっかいになった。この先何年生きたとて
同じようなものだ.ひと足お先に出立するよ」

 そして、杖をついて寺を出た。
 ところが100歩ほどのところで 立ち止まっている。
 不思議に思って近ずいてみると、すでに往 生をとげてい
た。凡人にはとてもまねのできることではない。 しかし、
同じ禅僧でも一風かわっていて、これなら、われわれ 俗人
にもやれるのではないか、と思うのがある。  

 金竜山の祖保和尚は無欲恬淡な禅僧だったが、病が進ん
 で死を自覚した時、新しい白衣に着かえ、助け起こしても
らって床 に坐ると、新茶一服を所望した。 早速、煎れても
ってくると二、三しずくを舌の上でころがして 味わってい
るようだったが、多くの禅僧のように偈も残さず、その ま
ま寂静たる死を迎えた。   

 願はくば、花の下にて、われ死なむ そのきさらぎの 
  もちずきのころ   

 とうたったのは西行法師だが、木々が燃え立つ新緑のころ、
新茶を喫しての清潔なる終焉も悪くない。 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 やっぱり好きなのは、一休さまですね。

   今死んだどこへも
   行かぬここにおる
   たずねはするなよ
   ものはいはぬぞ
       一休
     いつもいつでも喜んで、精いっぱいに生きて逝く。いいな。    
     「いま・ここ・おるよ」「いつもね」ってね。アッハアッハ。     

短歌     

   あそこここ病を並べ友話すどうしようもなくあいづちをうつ

俳句     

   さわやかにあいさつし去る日傘美女

川柳     

     会いたくて思っていると会え不思議  
   
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Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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