おばあちゃんのひとりごと

Entries

生きることのよろこびに燃えよう

 善きひとは雪のごとく遠方にありても輝く。 不善のひとは近くに
 あるも見えざること、夜に放たれし矢のごとし。
                     「法句経」


 昨日は太陽の陽ざしが有り難いいい日でした。 洗濯物がよく乾
きうれしくなっちやいました。 心地よい冬の一日でした。 

 椿散る べに椿散る 椿散る 細き雨降り 鶯鳴けば
                              与謝野晶子

 これは小さい頃の 田舎の大きな家の庭には椿が咲き、ポタリと
落ちて、裏庭の、竹藪で早春には、鶯の鳴くが声が寝ていて聞こえ 
このお歌ヲ思う。 実家が浮かびくるのです。 その実家もいまはも
うありません。 遠い日の亡き両親、亡き兄姉との日々。 浮かん
でくるこのお歌です。 さあて今日は雨とのこと。 昨日は久しぶり
の友人から電話が入り、なんだか、ここのところ、心がすれ違い気
味だった友人ですっきりせずにいたのが ちょっと心よくなりました。 
 微妙なずれも、心が暗くなるもので、気楽に暢気につきあいたい
私には、少々 嫌な気分でしたが、ひとことのことであーあ、ありが
たい。 よかったなと、ホッとしました。 いつも、スッキリといいつき
あいがしたいから……。 心はいつも爽やかでいたいから。

  ☆水を流すように流すのです☆

  ちょっとした 心のずれ
  それが とっても いやなもの
  どうしようかと どうしたらいいのかと
  この心に風は吹きゆく

  すれ違う心は なにがあったのでもない
  でも なんとなく 心に重いときがあり
  その心を 澄んだ水が流れゆくよう
  なにもかもを サラリと流すのです
  
  こんな年になっても ただ ただ 
  努力して サラりと流しゆく いつも
  よろこんで 楽しんで 美しく爽やかに
  難しいこともつらいこともあるけれども

  どんなときも さわやかに
  嫌なことは サラリと流していく
  そうして いいことだけを 心にもち
  歩いていきたい しあわせを感じて

-------------------------------------------------------------
  こだわらない こだわらない
                   松長 有慶 著

 こだわるということ

 近ごろ日本語を聞いて、おやっと思うことがある。 若い人たち
の新しい使い方とか、隠語の類を取り上げようというわけではな
い。 幼いころから仏教に慣れ親しんできた者にとって、どうも落
ち着きの悪い言葉を耳にしたとき、なんだか変に思う。
 ”こだわる” という言葉などもそうである。 最近この言葉をよ
く耳にしたり、目にしたりする。 徹底して味にこだわる店とか、
私は一生かけてこの仕事にこだわり続けたいなどといいう使い方
である。 ”こだわる” と言う言葉がいま、ほめ言葉になっている。
 これが仏教の思想に馴染んだ者にとっては、とてもおかしく感じ
るのである。 仏教ではどのような宗派の教えでも、こだわりを捨
てよ、と教える。 仏教ではこだわりはバツなのだ。 それがマル
の意味で、みんな得々として使っているのを聞くと、なにかしら違
和感をもたずにはいられない。
 なにも”こだわる”という言葉の用法にばかりこだわることはない
かもしれない。
 ――執着――
 ”こだわる” は、仏教の専門用語で言えば、”執着” である。 
執着は、仏教では煩悩の最たるもので、それを、捨てる、あるい
は乗り越えるために修業があると言ってよい。 禅の修行などで
ものごとに対する執着を取り除き、自由闊達な心に据わることが
求められる。 
 密教では、ときによっては執着を容認するようにもみえるが、生
命のエネルギーを活かして、最終的には執着を超え、こだわりの
ない自在の境地に住することが目的とされる。
 こだわることから入っても、最終的にはこだわりを抜けだすこと
が必要なのだ。

 仏教詩人である坂村真民の詩に、つぎのようなものがある。

 サラりと流してゆかん 川の如く
 サラリと忘れてゆかん 風の如く
 サラりと生きてゆかん 雲の如く

 生きることの むずかしさ
 生きることの ありがたさ
 生きることの うつくしさ
 まかせきって 生きることの よろこびに 燃えよう
            (「詩集 念ずれば花ひらく」 サンマーク出版)

 ここにはこだわりを捨て、まかせきって生きるよろこびが、歌いあ
げられている。
 仏教のどんな教えにも、こだわることを賛美するものは一つもない。 
現在よく使われている ”愛” という言葉も、仏教ではよい意味を
もたない。 愛もまた執着であり、こだわりと解釈されているから
である。 愛もひとたび裏切られれば、憎しみにころりと変わってし
まう。 「可愛さあまって憎さ百倍} とよくいわれるように、愛と憎
はいずれも相対的なものなのだ。 仏教では、愛に代わる言葉を
”慈悲” と言う。 慈悲は、裏切られても、与え続けることを言う。
また、 ”無縁の大悲”  という言葉もある。
 これは、自己にとって利害関係がまったくないものに、惜しみな
く慈悲を注ぐことを意味している。
 ――省略――

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
 短歌

  さみしさも悲しさもあり生きることあたりまえの日は過ぎゆき春来る

 俳句

  春一番春二番吹き春本番

 川柳

  あきれ果てそれでも続くゴシップが

スポンサーサイト

左サイドMenu

プロフィール

フェアリーグランマ

Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

ランキング

ブログ村のランキングに参加しています。応援してくれたら元気が出ます!
にほんブログ村 ポエムブログ 自作詩・自作ポエムへ にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村 にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村

flag counter

Flag Counter

最新記事

最新トラックバック

音楽