おばあちゃんのひとりごと

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「我すでに勝てり!」と大声を上げたといわれるが……。宮本武蔵

 「美しい地球の素肌に向かって、ミサイルや砲弾を打ち
 込み、生物化学兵器などで有毒物質を拡散させる。これ
 程ひどい台地への冒涜行為があるだろうか」
      町田宗鳳(臨済宗の僧侶・比較宗教哲学者)


    宇宙のロケットの中から
 地球を見ると人間なんかひとりも見えやしませんよ
    ガガーリンは言いました
 空は暗く地球は青いと
    コセコセスルコトハアリマセンヨ
 まあゆっくり飲んで下さい
       相田みつを

 美しい地球ですよね。大事にしたいものです。
 雨の音が昨夜は聞こえてまるで音楽のように聞いていました。
 さあ、昨日は、日曜日なので、いつものお店はとても混みますの
で、ほとんどの方は見えませんが、ご近所のおじさんだけが来てお
られ、私は、いつものように隅っこの席で新聞を読んだり、短歌を
作ったりしていましたら、おじさんが傍に、ちょっとこられ、

「今日は、娘は来てないね……」(娘とは仲良しさんのことです)
「うん、いつも土曜・日曜は来ないよ。ここが混むからねぇ」
「この医者の手術をやらないがいい……という記事をどう思う」
「医者は仁術という世じゃないし医者を選ぶ世だしね?……」
「いい先生に出会えることがいいけれどね……」

 週刊誌を持ち、その中に在る記事を見て言われるのだが「こんな
記事も困るなぁ」といっておられる。(医者ににいわれても手術は
しない方がいいと言う記事にね。考えておられる……)
「すべて、週刊誌は売れるように書くのでは?」そして「医者は最近
は商売のようになってきてる、じゃぁないかしら?なんというか?」
 なんというかね。やはり、難しいことだけど、オピニオンかなぁ
なんていったらいいのかなぁ……。
 最近、ご自分の健康でのことで、たずねられても、結局は「自分
で判断しないとね」となる。また医者のはしごになるよね。難しいね。


☆☆雨に思うこと☆☆

 雨が降る 雨の音もここちよい
 舗道のあっち こっちに
 水たまり 水たまり

 水たまりは 鏡のようだ
 お空をビルを 映してる 
 街路樹の緑も草も 綺麗

 雨の楽しみ 楽しんで 水たまり
 眺めれば水の輪も美しい
 いつまでもあきずに眺めてる

 ひとりはなんでもが楽しくなる

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 母の遺言
    孫と次代に遺す入魂書
                砂村 豊 著

 「腕」――-かいな
 柳生但馬守宗矩は二万五千石の大名にまで「出世」した。将軍家
剣術指南役といえば、事実上、日本一の剣客ということになる。
 が、本当に日本一の剣術遣いであったか、となると、このあたり
の判定は、ちと難しい。なにしろ柳生流は他流試合を避けた。(万
が一にも将軍家剣術指南役が敗けたとあっては「一大事」である) 
 それは、柳生但馬がかくも大きな禄高を得たのは、剣の腕という
より政治的手腕に依るものであった。事実、晩年の但馬は道場から
も遠ざかりがちであったという。
 
 神田お玉が池に道場を構えた北辰一刀流の千葉周作は、清貧に甘
んじた有徳の士で、「剣は心なり」という大書を道場に掲げていた。
 (門弟が三千人いたともいわれる。)
 本当に強かったが、ある日のこと街中で三人の酔ったならず者に
からまれた。剣は人を切るためにあらずという日常訓を守り、二、三
発殴らせておき、じっと耐えた!「修練」の剣はもっても「攻撃」の
剣は持たなかった。次いで掘を背に立ち、ひょいと攻撃を躱すと、三
人のならず者は揃って掘に落ちた。

 宮本武蔵を求道一途の修行者に仕立てたのは作家の吉川英治であり、
武蔵の実像は、実はあまり解らない。強いて想像力を働かせてみると、
柳生の剣が精緻を極めた合理的な剣であったのに対し、武蔵の剣は実
践の中から編みだされた荒々しい剣出会った。
 二刀流は、一説に、一人で複数の敵と相対した際の工夫から生まれ
たという。初期の、流派を超えた独自の喧嘩剣法が実践の中で鍛え上
げられ、やがて合理性を追求しながら晩年に至って、その合理性を突
きぬけた処で、「無心の剣」となるが、そこには禅僧沢庵との出会い
が少なからず影響を及ぼしたと考えられる。
 武蔵野「五輪の書」は剣の妙技と心を解いたものである。一度たり
と敗れなかった六十数回の真剣勝負にふれているが、単なる剣術談で
なく、今日でも立派に通用する人間への深い洞察に貫かれている。
 (晩年の武蔵は石窟にこもり、生死と剣を極めた著述に没頭した)
――省略―――
  巌流島における小次郎との対決は、どこまで史実に基ずいたもの
かは疑わしい。小次郎が待てど暮らせど現れない武蔵に業を煮やして、
ようやく作戦上大遅刻して到来した武蔵に対し、波打ち際に長い太刀
のサヤを打ち捨てて「いざ!」とばかり横走りした時、サヤを捨てる
とは無意識に死を覚悟したもの、と見てとった武蔵が「我すでに勝て
り!」と大声を上げたといわれるが、確かに余裕たっぷりの武蔵と神
経をピリピリの小次郎とでは、勝負は初めから決まっていたと私には
思われる。
 ―――省略―――
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 なんか、これを知るとね。なんか、小次郎がねぇ。
 なんか せつなくなるなぁ。やはり、こもののわたしのようです。
 
 短歌
  
  ぼーとしてて梅雨のひと日は暮れて行く今日もすんだな明日はなにしよう

 俳句

  あかちゃん抱き若き夫婦梅雨をゆく

 川柳

  生きているだからいっぱいある苦労
   
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Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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