おばあちゃんのひとりごと

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アインシュタインは”幸福な美しい国とデリケートな人々”と愛でるほど日本に惚れこみ……。

  チャンスは逃がすな。まず決断せよ。石橋を叩くのは、
  それからである。
                西掘榮三郎

  そうですよね。人生にはチャンスがたびたびあるといい
ますものね。気がつかずに老いていました。アッハ アッハ。
 石橋も叩いていたわけでもないのになぁ・・・・。
 わたしってほんとうにおバカなんです。自分でも笑えます
が笑ってね。だってお馬鹿ですもの。
 昨日は、お祭りでね。雨が降りそうだったけれども、雨も
降らなかったから、屋台が出てて、人が出て賑やかでした。
屋台の野菜売りにいこう。重いから近いがいいからなぁ~
 さて野菜を買おうと、夕方買い物に出かけてね。結局は
なんでもが、量が多すぎるし、これだけは食べられないな。
バケツ一杯やらきゅりが6本で250円・なすが6コで300円
やらでそうだ。大根を一本だ。150円だ。これがいいな。
 勿体ない精神で育っているのですもの。当然なんです。そ
して出会ったおばあちゃんに「大根高くなりましたね。この
間は100円だったのにね」と、言ってるわたし。うっふふふ。
 そんなケチくさいこと言う人なんていないわよね。ひとり、
あまり、可笑しくて笑えてね。笑ってるんです。面白い私。
「夏大根でしょう」と言われましたが、「わからんわぁ?」
{そうかぁ。こんな太い大根でも夏大根かぁ夏だからか?}
 でもね。こんなことが分からないなんて、駄目よ。ふふふ。
 夕飯は大根サラダを作りました。ひとりなんですもの、こ
の一本を食べちゃうまでがねぇ。考えるだけで楽しいわぁ。
 なんだか、笑えて、笑えてね。家に入りひとり大笑い。

    いまここに
    だれとも
    くらべない
  はだかのにんげん
    わたしが
    います
     相田みつを


 ☆☆いつも楽しいんです☆☆

    なんでもが
    ひとりなんです
    いろんなときに
    馬鹿ねって
    ひとりごと
 
    ひとりで大笑い
    だって 頭の中で
    ひとりで考えるでしょ
    ひとり自問自答してね
    所詮 ひとりの考え

    それだから
    みんなと尺度が
    違うんです
    だから ときどきは
    ちょっと 自分を遠くから眺める

    かわり者になっちゃってる
    でも いいかぁ 
    それがわたしだから
    わらっているがいちばん
    聴くだけにして だまっていることだな

 だってさ まるで お馬鹿が 丸見えなんだもんね
 
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 プロジェクトⅩ
  リーダーたちの言葉    NHKプロジェクトⅩ制作班
                今井 彰 著

 ・・・・・昨日の続きです・・・・・ 
 「西掘榮三郎の言葉」
   西掘榮三郎の履歴

 明治36年、西掘は、京都ちりめん問屋の末っ子に生まれ
る。舶来のミシンや蓄音機に触れた頃から、技術者への道に
憧れる。11歳の時に、白瀬中尉の南極記録映画に深く感動
する。
 大正11年冬、旧制高校に通っていた19歳の西掘榮三郎
は、外国人夫婦の京都・奈良案内の通訳を引き受けた。貿易
商の兄から習った英語は、かなりのものだった。その夫婦と
は、アインシュタインとその妻であった。大正デモクラシー
の日本で、相対性理論は、何故か熱狂的な関心を持たれてい
た。講演に招かれたアインシュタインは、43日間にわたる
旅の途中だった。西掘は、アインシュタイン夫妻と知恩院、
清水寺、西本願寺を回った。アインシュタインは”幸福な美し
い国とデリケートな人々”と愛でるほど日本に惚れこみ、興味
は尽きなかった。その時々の印象や思索の断片を短い文章で、
時に絵を添えて書き留めた。京都の旅では、寺の鐘や瓦を見て、
その模様や形に驚き、感心しては、西掘を質問攻めにした。黒
マントをはおり、白線帽で大型のカメラケースをぶら下げた凛
々しい青年・西掘は、天才の溢れ出る探究心に魅せられた。
 府立一中、三高、京大と山学部に属し、京大生の時に白頭山
(旧満州・朝鮮国境)に遠征して、極地法というキャンプ方式
を実践、京大で、理学部無機化学科に学び、助教授になる。
 昭和11年「もっと生活の役に立つ仕事をしたい」と東京芝
浦電気(のちの東芝)に入社、真空管の研究に没頭し、日本初
の汎用真空管”ソラ”を発明。戦後は、東芝を退社してコンサル
ティング・エンジニアとなり、統計的品質管理の普及でデミン
グ賞を受賞。日本能率協会の指導員となり、全国の工場を回り
品質管理の方法論を伝え、日本経済の基礎作りに奔走した。
 昭和27年、国交のなかったネパールに、戦後日本人として
初めて乗りこみ、ヒマラヤ登山の足がかかりをつけた。
 昭和32年、南極地域観測隊副隊長(第一次越冬隊長)。
 南極から帰還後は、日本原子力船開発事業団の理事となる。
 昭和52年日本山岳会会長、同年、日本ネパール協会長。
 昭和55年、チョモランマ登山隊を組織、総隊長として指揮。
70歳を超えて自力で50007メートルまで登る。
 平成元年、86歳で没した。ガラス細工の名人にして、

 ”雪よ岩よ われらが宿り 俺たちゃ街には 住めないから
に……”、「雪山讃歌」の作詞者でもある。

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 素晴らしい人生ですよね。

「出る杭を打つな。手を添えて伸ばしてやれ」

 が口癖だったとか。 いいですね。


 短歌

  バス停でひとこと交わすそれもよい自然に笑顔「よく降り
  ますね」

 俳句

  夏祭りにぎやかがいい人の波

 川柳

  ニュース見て怖くなる気をつけないと
 
           
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Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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