おばあちゃんのひとりごと

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この世界というものは、たんなるものの集まりでできているとは、どうしても思われない。

 この生涯において、何度も読み返えし得る一冊の
 本をもつ人はしあわせである。さらに数冊をもち
 得る人は至福の人である。
     フランス文学者モンテルラン

 確かにですよね。好きな本を身近に置き、あらゆる時に
開いて読みたいものです。私も大事にする本をいつも手の
とどくところにおいてあるのです。だらしない私でね。
なんでもが好きなものは傍においておきたくて……。
 だから片ずけが下手でね。困ったものです。
 昨日のこと、いつもの喫茶店に行ったら。仲良しさんに
逢えた。久しぶりの出逢い。もうひとりの老女性ともね。
その方が話されると楽しい。市が出している本を見て調べ
あちこちにお友達と出かけられると言う。本も見せて下さ
るが……。
「私はダメだわ。そうやって調べていく元気ないのよ」
「なんで、楽しいよ」
「せっかくいってくれてありがとうね」
「でも、面倒くさくて、駄目だわ。ここいらだけでいいわ」
 アッハ あっは。せっかく教えて下さっても、私にはでき
そうにない。みんな、いろいろな方法でそれぞれ、考えて楽
しんでおられるなぁ。
 それぞれにみんな、いろいろと工夫し楽しんでおられいい
ボーリングを仲良しさんは週3日行かれてがんばっておられ
るし、いいもんです。私は、ひとりゆっくり散歩するだけ。
 でも、それはそれで楽しいもんね。わがままなわたしは、
ひとりが気楽でいい。ありがたい。
 
      一生燃焼
      一生感動
      一生不悟
         相田みつを



  ☆☆会いたいなぁ 会いたい 亡き父母よ☆☆
(兄や姉と年が離れて生まれた私と妹に……亡き父の想い)

 ちっちゃい頃の想いでなのですが・・・・・

 父の悲しみにみちた優しい目を思いだすのです
 「おまえたちは親と早く別れるからなぁ」
 と、私と妹をジィッと見つめ言った
 「なんでなの?」不思議に思った

 遠くにいる 母に聞こえたら
 「そんなこと言っちぁだめ」
 と、怒ったようにいった母でした
 そんなことを ふと 思いだすのです
 
 妹は、聞いたであろうか 覚えてただろうか
 そんな親の気持などわからない 幼なのころ
 お父ちゃんのやさしさからの出た言葉
 身に染みて思っていてくれたんだろうな

 なんとなく想いだすのです
 それはいちどのことなのか
 なんだかわからないけれど
 優しい父の一面が見えるのです
 
 父は当時 お役所勤め かっこいい紳士だった 
 洒落た人で外出はスーツ姿 家ではお着物だった
 ほかの姿はいちども見たことがない 
 服も持たなかっただろうな 毅然とした人だった

 電車に乗っても 坐らないのだ
 老いても父は しゃんとして言う 
 「どうぞ お掛けなさい」
 申し訳ないけれど……坐る 喜ぶから
 
 もう みんな死んじゃったわ あと姉と私だけだ
 会いたいなぁ とてもあいたいなぁ 会いたい
 なんともいえないほど あたたかい 父や母
 ひとつ また ひとつと なつかしい思い出 

--------------------------------------------------------------------- 
 子育てのこころ
           盛永宗興 著

<仏さまはこの世に満ち満ちていらっしゃる>
 この世に満ち満ちておられるもの、その満ち満ちておられ
るものを「仏」といいます。そしてその「仏」がありとあら
ゆるものに姿を変え、かたちとかいろいろな法則とかいうも
の――私たちの目や心に感じられるものとしてこの世に現わ
れてきたもの、それを「法」といっています。
 ですから、「仏さま」というのは、唯一絶対なものです。
広大なこの世界に満ち満ちておられる。ただひとつの存在で
す。けれども、形の上からいえば、千差万別、男になり女に
なり、お年寄りになり子どもになり、あるいは草になり木に
なりと、千差万別の差別の姿で現われております。この、差
別の姿で現われているものを「法」というわけです。
 さきほどのアインシュタインという人は、今世紀最大の頭
脳を持った人間と呼ばれるほどの偉大な学者であって、理論
物理学の世界で相対性理論というすばらしい理論を打ち立て
ましたが、晩年になってから、

「この世界というものは、たんなるものの集まりでできてい
るとは、どうしても思われない。誰が、どのようにしていら
っしゃるのかは知らない、なんとも表現することのできない、
微妙な調和と秩序によって創られている」

 ということをいっています。

 すべてが仏の現われである以上、姿かたちはちがい、習慣
もちがっても、おたがいは赤の他人の寄り集まりではなく、
ひとつの、ひとつの仏の現れとして、千差万別の姿を持ちな
がら、どうしようもなくつながっている。そして、おたがい
に補い合いながら、おたがいに助け合いながら宇宙という大
きな生命を支えている――これが「僧」ということなのです。
「僧」というのは、たんにお坊さんということではなく、本
来は「和合」とか「調和」とかいう意味を持っているのです。
 アインシュタイン博士が、「たんにものの集まりではなく、
この世界はものともの、人と人、人ともののあいだに、なん
ともいえない妙なる秩序と調和がある」といわれたことを、
仏教では、「僧」といっているのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
 短歌

   懸命に働きそして楽しんで知らぬ間にもう老いていました

 俳句

   夏風邪が治らぬと友は鼻すする

 川柳

   老いていく早さ月日も早いなぁ
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Comment

NoTitle

微妙な調和と秩序 そうですよね ウマク完成された世の中なんですね。

今日のお話しで
懐かしく思い出させていただきました。

家族写真を記念にと 写真館に連れていかれたときの思い出です。
父のたばこくさい 分厚く大きな手が思い出されて 今でも鮮明です。
じっとしていないあたくしのほほに父のふあつい手は添えられておりました。✋
弟を抱っこしていた母の手は あたくしの幼い手をしっかり
握って力がこもっている感じでしたね。
若い父と母は 気取ったいっちょうらの笑顔で 新しくはぐくみ歩き始めた家族の楽しい時間を記念写真で  あたくしに残してくれました。
  • posted by kumikumi
  • URL
  • 2016.07/16 23:58分
  • [Edit]

Re: NoTitle

いいですね。写真ね。その温かな感触ね。大切ですね。私は姉や兄らとは齢が一回りも違うのですものね。妹と私などは、赤ちゃんや幼児の頃なんて、写真はないのです。小学校の記念写真くらい。笑えますね。でも兄や姉らは、とくに一番上の姉ちゃん(養女)のは、若い母に抱かれ、若い父が神妙な顔で写真館での、お宮参り(?)の写真もありましてね。赤ちゃんの一人写真もね。私と妹とは、違いますね。でも、過去とはいいもんですね。みんな美しいセピア色の家族写真の中には、私と妹は写っていなくてね。「どうしていないの」と、聞いたもんです。{まだ、うまれていないんですものね}若い父と母の懸命に生きた姿がうかびますものね。あなたは、その写真の中から、感じられ、心に、ご両親の感触までがあっていいですよね。思い出っていいですよね。今の世の中は何でもありの世です。写真は感触を感じるなどという間もない、いっぱい、いっぱいの写真です。それはそれで、きっと、いい思い出となるのでしょうね。世の中とともにね。

  • posted by フェアリーグランマ
  • URL
  • 2016.07/17 10:02分
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Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

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