おばあちゃんのひとりごと

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私は作家の中で城山三郎さんほど誠実な人を知らない」小島直記作家

 人間は終わりになるを憂えてはならない。未だかって
 始めらしい始めをもたなかったことを考えよ。
            ニューマン枢機卿


 昨日梅雨明けとなりましたね。今からの暑さがこわいよう
です。今日も暑くなりそうです。夏らしい朝です、暑くなり
そうです。そして、横綱が負けてしまいました。やはり横綱
が負けるとね。いつも強いがいいなぁと応援しているのです。
昨日ですが、ちょうど、久しぶりに、ご近所のかたに、おあ
いましたらね。
 「あのね。あの方知っているでしょう」
 「だぁれ?ああ……私はあまりよく知らない方だわ」
 「最近お会いしていないなぁと思っていたの。そしたらね」
 「お亡くなりになられたのですって……」
 「まあ、ビックリですね、どうなさったのかね」
 「なんか、よく、わからないけれどもね。」
 「おたがいに、気をつけようね。」
 いろいろなことは、あるものです。何気ないようで、寂しい
話しです。さあて、近くの神社が、風鈴祭をしているというこ
となので、おまいりに行きながら、風鈴がたくさん飾られてい
たので眺めてきました。一人の女性が、ずーと掛けて音を楽し
んでおられるようでした。

   弱きもの人間
   欲ふかきもの
   にんげん
   偽り多きもの
   にんげん
    そして人間の
      わたし
         相田みつを
 

  ☆☆楽しくいこうかなぁ☆☆

   ちっとも
   いいひとになれやしない
   あっちでぶっかり
   こっちでぶっかり

     そんなつもりはないのに
     なんだかわからないうちに
     わけわからないうちに
     へんなになっちゃっている

   いきるのがへたなんだなぁ
   でもだいじょうぶ
   へたでも へこたれない
   楽しく考えていこうかなぁ
     
--------------------------------------------------------------------
 十八史略の人物学
          伊藤肇 著

・・・解説・・・  小島直記
 ――省略――
 絶えず会っていた彼と、あまりあえなくなった第一の理由は
彼の忙しさであった。一か月に50回におよんだという講演と
客席やゴルフを通じての財界人との交遊、その間隙を縫うよう
にしてつぎつぎと出版される著作、それは彼の人気のバロメー
ターに他ならないとしても、おだがい会う時間がほとんどなく
なっていく過程でもあった。
「何をそんなに急ぐのか」ともいいたかった。「少し急ぎすぎ
ているのではないか。著作の密度がうすくなってきた。繰り返
しが目立つようになったぞ」と、いわねばならぬことであった。
しかしそれは手紙や電話で伝えることではなく、昔のように遠
慮なくハラの中を打ち明ける形で、面と向かって、真剣勝負の
気構えで試みねばならいことであった。それがついにできなか
った。彼のために申し訳ないと、今心からおもうのはそのこと
である。
 無論、彼自身がそのことに気ずいていないはずはなかった。
本書の「はしがき」には、
「人生50年……、わが身をふりかえって、残された仕事の量
にくらべて、自分の年齢をかえりみる時、つくずくと命がいと
おしくなりはじめる年頃であり、同時に若いころのエネルギー
の浪費がひどく口惜しく思われ、老荘の養生訓にある「嗇(お
しむ)」の意味をまじめに、かつ深刻に受けとめる年齢である
が、<これからは生まぐさいエネルギーの浪費を惜しんで、自
分でなければできない、これだけは天職だといえることに、ひ
たむきに進もう>と決意を新たにしたことを、つい昨日のよう
に思いだす」

 と書いている、まさにこれこそ、自らの忙しさに対する自戒
自省の言葉にほかなるまい。
 この文章によれば、決意したのは50歳になったときであろ
う。そして「つい昨日のことのように思いだす」と書いている
のは、昭和55年2月4日、つまり彼の53歳のときである。
実情は、決意を親たにしたことを、つい昨日のことのように思
いだしても忙しさは加速度的になっていたときではなかったか。
その頃、久々に彼と会ったことがある。秋田まで講演にいって、
その帰途、羽田からそのままかけつけてきたとのことであった
が、いかにも顔色がわるい。調子がよくないのではないかとき
くと、
「いや、けんしょう炎でね。右の背中が痛むんだよ」
 とのことであった。私自身、けんしょう炎に悩んだことがあ
るが、そのために右の背中が痛むということがあるだろうか、
と首をかしげた。虎の門病院に入院したのはその数カ月後であ
る。見舞いに行くと、開口一番、
「小島さん、フィフティ・フィフィティ―だよ」
 といった。彼自身が<死>を意識することばをはいたのは初
めて」で、胸をつかれて、返事の言葉を探しだすことができな
かった。

 53歳の死とは、あまりにも早過ぎる。誰よりも頑丈であり、
元気であっただけに、彼を知る人で、そのことを即座にのみこ
めた人はいなかったのではあるまいか。
 しかし、それから4年たった。その間に忘れられないことは、
城山三郎さんとの思い出話である。それは某誌の対談で、場所
は私の住まいに近いところをという城山さんの温かい配慮によ
って葉山町の日影茶屋画選ばれた。対談の主題は別にあったの
に、いつの間にか二人の話は伊藤君のことになったのである。
私は作家の中で城山さんほど誠実な人を知らない。その城山さ
んが心をこめて伊藤君のことを語るのを聞いていて、しみじみ
とうれしかった。彼は、彼を愛した人たちの心の中では、決し
て死んではいないのである。その人たちの生のある限り、伊藤
君はその人たちの心の大切な部分で生きつずけるだろう。佐藤
一斎は「少(わか)くして学べばすなわち壮にしてなすところ
あり、壮にして学べばすなわち老いて衰えず。老いて学べばす
なわち死して朽ちず」といった。伊藤君はついに「老年」とは
無縁であったが、その心を刻んだ著作は衰えず、そしてその存
在が朽ちることはないだろう。伊藤君よ。心安らかに眠りたま
え。
 昭和59年11月         小島直記(作家)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 いい友人ですね。そういう人に囲まれていて……。ああいいな。
 そういう友人がほしいなぁ・・・・。

 短歌

  歩く歩くひとりだからね気の向くまま暑かろうとて健康のため

 俳句

  風鈴の音に誘われ佇みぬ

 川柳

  誰もゆくいつかは知らねどゆっくりね
 

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Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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