おばあちゃんのひとりごと

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「世間では光秀が信長公を殺したというだろうが、わしはそうは思わない。信長公が光秀をして自らを殺させたのである」 

 ひとつぶでも まくまい ほほえめなくなる種は
 どんなにちいさくとも大事に育てよう 微笑みの芽は
             「小止観物語」(幸せは急がないでより)


 昨日も暑かったですね。ふうふうですね。まだまだ今からが夏本番。がんばらなくちゃぁ。
 家にいると、ついつい、ゴロゴロ。なんだか、”とど” になりそうでね。うっふふふ。
 あまりの暑さでも歩くしかない歩かなくちゃぁと、買い物と散歩でスーパーへ行き、冬瓜
を買いましてね。4分の1ね。100円くらい。美味しく煮えて夕飯で頂きました。亡き母が
よく煮てくれたけれども、好き嫌いの多い私は、あまり食べなかったなぁ……と、思いだし
て作ったのです。老いると色んなことも、幼なが懐かしくいいものです。昔、岡山県生まれ
だったかなぁ、「冬瓜なんてまずいもの食べられないわ……」その人が言っていたことが、
ふとね。その時は「エッ」と思いましたが、小さいころ食べないとそうかもね。と、そのと
きのことを、思い出しながら、美味しく煮え食べちゃいました。ヘタな料理も誰も文句言う
人もないし、ひとり喜んでいただく。いいもんです。あのね。今日の読書ね。

 「世間では光秀が信長公を殺したというだろうが、
     信長公が光秀をして自らを殺させたものである」

 徳川家康様のこの言葉いいですよね。読んで、いてね。考え方が……。昔、昔ですが、
 高校生のときの日本の歴史の授業でね。先生が「明智光秀は、ご馳走の席で………」
「食べ物の恨みはこわい……」、おもしろ可笑しく教えて下さった先生のことが浮かび、
なんか、ビックリするような歴史のお話で目を輝かせて勉強をしたなぁとね。・・・・

        身から出たサビ

      わたしがわるかった
      自分がわるかった
      うん、やっぱり自分が
      わるかった。

      だれのせいでもない
      要するに身から出たサビです
      ひとのせいにすることはないんです
      自分がわるかった
      ただそれだけのことです

           相田みつを(あとを省略します)


     ☆☆そう思うのです☆☆

       すべては自分なんです
       嫌なことをすれば
       嫌なことは必ずかえってきます
       自分にならば仕方ないけれど
       大切な愛する人にかえってきちゃう
       そう 考えるんです
       そう 思うのです
       そう 思うといいことをしないとなぁ
       そう 思えるからね
       そう 思うがいいんです

       大事な人や愛する人の
       しあわせを大切にしたいから

       いいことをし いいことだけ思う
       いいことがだれにもきてほしいのです
       みんなが幸せになるよう

       そう そう それがいいなぁ
       自分の人生なんだもん

       そうやって いきていきたい

       ああ ああ そう思うんだけどなぁ
       我儘が強くて 我儘なわたし でも 
       がんばっていこうかなあ がんばろう
   
------------------------------------------------------------------------------------------------
 日本人の心に響く名言
                 川村真二 著

 心知らぬ人は何とも言わば言え
      身をも惜しまじ名をも惜しまじ
                   (伝、明智光秀)

 明智光秀が信長を討つと決心したとき、詠じたとされる一句である。自分のすべてをな
げうって志を遂げようという信念の言葉である。 
 謀反のあと、光秀が成功していれば、この言葉は、大勝負に出たり、信念を貫くときの
名文句として日本の歴史に刻まれたでだろう。
 実際は信長を討ち、わずか十一日後に山崎の合戦で秀吉に敗れ、土民の槍で最期を遂げ
たのである。それゆえ、この言葉は、光秀の悲痛で哀れな心境を映すものとして有名であ
る。
 信長は中世世界を打ち砕く天才、革命の名将であるが、信義を重んじ、民百姓を慈しむ
ような良将ではなかった。平気で人を裏切り、酷く人を殺した。人間を道具として扱った。
癇癪を起こし、部下に乱暴を働いた。恩賞は多く出したが、部下は悦服ではなく信長に戦
慄して働いたのである。

 光秀がなぜ信長を殺したかは諸説がある。
 ①怨恨説。▼光秀は母を敵将との交換の人質に出し、信長は降参してきた敵将を殺した。
そのために母は敵方に殺された。▼光秀のキンカン頭と言って衆人の前でなぐった。▼武
田滅亡のあと光秀が「長年骨を折ったかいがありました」と言うのを聞き、「お前がいつ
骨を折ったか」と言ってなぐった。▼家康に腐った魚を出そうとした、と咎められてご馳
走役を免ぜられ、即刻中国への出陣を命じられた。
 ②野望説。自分が天下を取りたかった。当時の力ある戦国武将の常であるとの説。
 ③危機感説。蘭丸が自分の父の旧領の近江を欲しいと言い、信長が三年待てと言った。
近江は、光秀の現在地の領地であり、身の危うさを感じた「出雲、石見を与える。現在の
領地、丹波、近江は取り上げる」との命令を受ける。そのとき出雲、石見はまだ敵国であ
った。
 ④性格説。信長は天性の野人、光秀は誠実、当代一の教養人。性格の違いが齟齬きたし
た。
 ⑤チャンス到来説。本能寺に無防備で一人信長がいる。織田の武将は各地で敵と戦って
いる。家康は堺で遊んでいる。守旧勢力は自分の味方だ。未だ。と激発した。
 
 真相は謎であるが、諸説の混合的要因によって、五十五歳の光秀は謀反したのであろう。
 のちに、徳川家康は言った。「世間では光秀が信長公を殺したというだろうが、わしは
そうは思わない。信長公が光秀をして自らを殺させたのである」
 「順逆二門なく 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来って 一元に帰す」
 は、鎧の引き合わせのなかにあった光秀の辞世だといわれている。
 ー――善といい。悪というが一つのもの。正義はわが心の底に徹している。五十五年の
生涯は夢。覚めて元の土に戻るまでのこと――

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 なんだか、徳川家康さまって、さすがですよね。


  短歌

  「暑いなぁ」ひとりごといつつ「ホントよね」ひとり会話しひとり汗ふく

  俳句

   真夏日はまだまだ始まり夏本番

  川柳

   オリンピック治安のニュースに日本いいな


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Comment

「是非に及ばず」

いつも興味のあるお話ありがとうございます。

「是非に及ばず」
明智光秀の謀叛
  敵は本能寺にあり宿営地の本能寺を奇襲で攻められ
  織田信長は 敵に立ち向かい奮戦するも多勢に無勢
肘に槍で傷を負い
  ついに死を覚悟し傍に仕えていた侍女達に
  わしに構わず逃げよ
「是非に及ばず」
信長はその言葉を遺し 火中に消えた
侍女達の言葉をヒヤリングしたものなので
事実だと思われます
「信長 潔し」 感服した次第です

物事は色々な見方があって 何が真実か!?
いつもそんな視点で物事を捉えています
  • posted by クメゼミ塾長
  • URL
  • 2016.08/06 17:03分
  • [Edit]

Re: 「是非に及ばず」

こちらこそ、いつも、ありがとうございます。
なんだか、あなた様のコメントから、その情景が、浮かんでくるようです。
さぞ、信長さまはご無念でしたでしょうに、ご立派ですね。


高校のときの、歴史の先生の授業が、とても、びっくりしたんですよ。
 物事はほんとうにいろいろな見方がるものですね。


いつも、いろいろと、ありがとうございます。

  • posted by フェアリーグランマ
  • URL
  • 2016.08/06 21:56分
  • [Edit]

Re: コメント承認お願いします

わたしなんにもわからなくて、すみません。そしてありがとうございます。

  • posted by フェアリーグランマ
  • URL
  • 2016.08/06 23:15分
  • [Edit]

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Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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