おばあちゃんのひとりごと

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「大塩平八郎の性格の欠陥が、結局は反乱を成功させなかったのではなかろうか」

 家族のなかで、職場において、まわりの人々のために笑顔を
 うかべ、やさしいことばをかけてあげる。それが一つの仏教
 の実践なのである。
            ひろさちや「まんだら人生論」


  いいですよね。まわりの人やらに微笑む心ね。優しい言葉かけ
相手に対する思い遣りですね。そうして、自分が行動にするならば、
自然と、まわりをも大事にできます。それが、いい雰囲気になれる
自分となり、命を大事にすることにつながりますよね。
 老いを重ねるごとに、その大切さを知り気ずかされありがたい。
 若いころは、働き生活をしていくことに一生懸命で、なにも考え
ないで、毎日バタバタとしていたように思います。今は暇ができて、
有り難いし、いろんなことを考えたり、本をゆっくり読めることが、
嬉しく、いろんなことを知り、いろんなことに気ずけたらいい。
 そう思うのです……。その大事さをね。うっふふ。
 私は、笑えますが、今ごろ、やっと、わかったのです(苦笑)
 若い時や子供の頃はわがままで、老いた両親でして寛容だったので、
甘やかされていて、決して、よい子供ではありませんでした。
 いい言葉で言えば、天真爛漫で、悪く言えばなんでしょう…か。
 我儘?言いたいことを、やりたいことを、のびのびやっていた。
 でも、いつも亡き父母は、だまって微笑んでいたなぁ……想い出し、
(可愛いい子という優しい眼で私と妹を見てたな。子供心に感じた)
だからこそ、安心してました。愛情をいっぱい感じたのです。
 振り返り、そんな中自分がよかったと思えるのは、たくましく、何が
あってもへこたれることがなく、いい子じゃぁないから、きっと、自分
が悪いから仕方ないかと失敗しても、次は頑張ろう‥‥…と。
 そんな子どもだったな。そして、結論は、なんとも、おバカな子ども
だったんだ。しかたないかぁ。
 本当を言うとね。もっと、叱ってくれて、いい子に育ててほしかった?
アッハ アッハ。笑える、勝手な私です。気ずけぬ自分が悪いのに……?
情けない。老いても我儘そのまま、情けないですよね………人間なんです。
 でも、愛があふれてたがわいわいがやがやの家族でぶつかりあい、短気
な兄を見ててその怒りから怒鳴る姿、わがままな私、父母の子供に対する
いろんな姿を、小さいながら眺めつつ、家族の中でいっぱい学びました。
 いっぱいのプラスやマイナスをね。老いてなんだか見えるのです。
 むかし むかしの わが家の姿を思い出し、懐かしむのです。


        なやみは
        つきねえんだ
        なあ
        いきているん
        だもの
          相田みつを


      ☆☆いいことって 満足すること☆☆

       不平不満
       ぐちある ある ある
       人間だもん 生きているんだもん
       でもね でも
       すべてを満足しようとしては
       いけないなぁ 

       だって なんだって
       思い通りにしようとしたり
       してはいけない
       不平不満も愚痴も
       あつたがいい あたりまえなんだな
       それがいいもんなんだな
       
       うまくいえないけれど
       なんていうか
       考え方ひとつ 愚痴も
       不平不満もあるは当然
       その当然と思うなかで
       満足する心の芽を育てる
       
       そうやって考える
       そうやって思う
       それが ありがたいことに気ずく
       不平不満はいつの間にか消えていく
       不平不満が満足に変わっていく
       ゆっくり ゆっくり満足する心に
       
       それが いいもんだよ
       思い通りにはならないけれど
       それがいいんだなぁ そう思う

     ちょつと 下手で意味が分からないかしらね

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 人性の師●
 「一期一会」をどう生きるか
               童門冬二 著

 ◇恩師を ”反面教師” にもできる人の強み

 伊庭貞剛という人物がいる。明治時代、住友の大番頭と言われた広瀬宰平の甥
だ。広瀬の跡を継いで、やはり住友の大番頭になった。が、広瀬よりずっと近代
的で、言ってみれば広瀬の悪いところを住友から全部ぬぐい去った。企業環境が
変わったからだ。
 伊庭貞剛は、はじめは明治政府の役人だった。ところうが、彼は役人の世界に
愛想を尽かしていた。伊庭は、若いときから大塩平八郎を尊敬していた。前に書
いたように、大塩は、有名な大坂町奉行所の与力である。あるとき、大坂市民の
福祉を無視して、米を独占しようとした徳川幕府の命に忠実に従う上役の奉行に
逆らい、ついに反乱を起こした。自分の全財産を投げうって、飢餓にあえぐ大坂
市民のために米を買った。これが幕府に対する反逆行為だととがめられたので、
ついに大塩は立ちあがったのである。この大塩の姿勢に、伊庭はいつも感動して
いた。
 しかし、大塩の行為をまるごと鵜呑みにしていたわけではない。大塩の反乱は
たった一日で失敗した。大塩自身は、隠れ家に火をかけて、炎の中で切腹自殺し
てしまう。伊庭は考える。

 「大塩はなぜ失敗したのだろうか」

 クールな伊庭は、大塩平八郎の言行を分析する。そして、
(大塩平八郎の性格の欠陥が、結局は反乱を成功させなかったのではなかろうか)
と、考える。つまり、大塩はその性格ののせいで、彼と同じ立場にある武士たち
の理解と協力を得られなかったのではなかろうか、と思うのだ。というのは、大
塩平八郎がたいへんな癇癪持ちだったからである。
 大塩は学者だったから、多くの門人がいた。彼は、自分の塾でこれらの門人を
教えた。ところうが、教え方が厳しい。覚えが悪いと、容赦なく殴りつける。
 また冬の日、雪が降っても、強い風が吹いても、大塩は家の戸を開けっ放しに
しておく。雪や風が家の中を舞いこ込む。門人たちは寒さに身を縮める。
 すると、大塩は、
「寒くない!気持の持ち方ひとつだ。寒いと思うから寒いのだ!」
 とまた殴る。結局大塩に対する門人たちの念は、恐怖が主体になっていた。
(ここに原因がある)
 伊庭はそう思った。だから、たとえ大塩平八郎を尊敬していても、大塩平八郎
の言ったことや、やったことでをそのまま踏襲していたのでは、自分もまた大塩
の二の舞になると考えていた。
 ところうが、そういう考えで大塩の一面を反面教師としてとらえながら尊敬す
る伊庭が、実際に官界に入ってみると、明治の役人たちも江戸時代の役人とまっ
たく変わらなかった。
 つまり、大塩平八郎が抗議し、弾劾していた堕落役人であふれかえっていたの
である。
 伊庭は、落胆し、やがて怒り始めた。そして思った。
「大塩平八郎の時代と何も変わらない。自分はいままで大塩平八郎の性格が短気
なので、人民のための反乱も成功しなかったのだろうと思ってきたが、大塩の立
場に立つとよくわかる。大塩平八郎がいまこの官界にいたとしても、おそらくま
た反乱を起こしたことだろう」
 しかし、伊庭は反乱は起こさない。そういう世の中でないことを知っていた。
同時にまた、一人ばかりの正義派の役人が反乱をおこしてみても、がっちりと固
められた官僚世界はビクともしないということを知っていた。結局、伊庭は役人
をやめた。そして、生まれ故郷である滋賀県に戻って、土と親しみ、悠々自適の
生活を送ろうと思った。
―――省略―――
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 短歌

  精いっぱい生きて老いいま暇となりこの幸せをひとり楽しも

 俳句

  造花店美味しそうな柿出たぞ

 川柳

  この残暑今夜は寝れるか不安なる


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Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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