おばあちゃんのひとりごと

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あたえられた仕事は、専門の電気工学ではなく科学分野の研究でした。けれどまじめに熱心に取りくみました。

 人間は考えるために生まれている。従って考えることなしに一瞬も
 いない。
                パスカル

 人間はそうやって考えて生きることがいいのでしょうね。またそういう生き
方がいいのでしょうね。
 老いた今は、思うのですが、若い頃は何にも考えていなかったなぁ。だから
もっと、考えて生きていたらなぁとね。もう、いまさら思っても仕方ないけれ
ど、しっかり考えていきたいもんです。真面目に考えて努力しないとね。
 まだすっきりとは、元気にならないけれど、気力よね。
 昨日は、散歩もやめてコンビニに買い物に行きましたら、誰かが、なんだか、
呼んだ気がして、振り向いたら、若いママさんでした。
 「向こうから、何度も呼んだだよ」
 「呼んでも気が付かなかったね」
 「あら、ごめんね」
 「あのね。空が暗くなってきたよね。だから、雨が降り出しそうで……」
 慌てて洗濯物を取り込みに来たという。若いママ。あとからメールがきてね。
……雨が降ってきましたよ……教えて下さる……間にあったね……と返信メール。
しかし、呼んでくれててね。ああ、注意力がなかったなぁ……と思うのです。
 そしてご近所の若いママさんの優しさが嬉しい。男性も女性も優しいがいい。
 この言葉を、ふと思い出しました。

  タフでなければ生きて行けない。優しくなければ生きている
  資格がない。
      レイモンド・チャンドラー(英・推理作家)


    ☆☆やさしさがいいな☆☆

      人を思いやれる人
      人を気ずかえる人
      人を尊敬できる人

      ああ ほかにも いっぱい いろいろあるが
      そうありたいと 思うのだけれど
      老いてもいまだできてない
      
      ああ 自然にやれなくちゃあな
      無意識にできる人でなくちゃあ……ね
      そう思うのです

      なさけないわたしなんです

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  理科室から生まれたノーベル賞
 (田中耕一ものがたり」国松俊英 著

 <たんぱく質の分析装置>
 1983年4月、23歳の耕一は島津製作所へ入社しました。
島津製作所は、1875年に、島津源蔵がつくった会社です。源蔵は、日本ではじめて人を乗せた気球をとばすのに成功した人です。
 自分で発明と研究をかさねて、理化学機械をつぎつぎに開発しました。 二代目の島津梅次郎も、いろいろな発明品をつくりました。日本ではじめてX線の写真撮影に成功し、医療用のレントゲン装置を製品にしました。そのほかにも、小型蓄電池、教育用のX線撮影装置などを発明し、日本のエジソンとよばれました。
 島津製作所は、新しい科学機器や装置の開発と研究にとりくんでいきました。1947年には、日本ではじめて電子顕微鏡をつくりました。いまでは、科学計測機、医療用機器、試験検査機器、航空宇宙機器などを開発し製造しています。 
 島津製作所の一員となった耕一は、レーザー光線の強度を変えることによっていろんなものが測定できる分析装置を開発するグループにふりあてられました。
 あたえられた仕事は、専門の電気工学ではなく化学分野の研究でした。けれど耕一は、まじめに、熱心にその仕事にとりくみました。 耕一のグループは、装置の開発に成功しました。しかし製品にすると価格が一億円をこえる高価なものになるとわかり、製品化することはできませんでした。
 入社して2年目の秋です。耕一は4人の仲間とともに、あたらしい開発研究の仕事にかかりました。たんぱく質にレーザー光線をあてて、たんぱく質をこわさずに細かく分けて調べる仕事です。その仕事は、「ソフトレーザーー脱着法」といいました。
 そのころ、大学の偉い先生はいいました。
 「レーザー光線をあてて、たんぱく質を分けて調べるなんて、いまの科学ではむりなことですね」
 専門家たちは、誰もそんなことはできないと思っていました。耕一たちの開発グループは、不可能に見える難しい技術にいどんでいたのです。
 複雑なしくみをもったたんぱく質は、熱によわく、レーザー光線をあてると、ばらばらになってこわれてしまいます。
 耕一が受け持ったのは、レーザー光線の力をよわめる物質(補助剤)をみつける仕事でした。
 専門家たちは、だれもそんなことはできないと思っていました。耕一たちのグループは、不可能に
みえるむずかしい技術にいどんでいたのです。
  —--省略ーーー
 1987年9月、兵庫県宝塚市で「第二回中連合質量分析討論会」が開かれました。耕一は、自分の研究「ソフトレーザー脱着法」の開発について発表しました。
 この会には、いまはアメリカのジョンズ・ホプキンス大学の教授をしているロバート・コッタ-教授が招待されていました。
「私のデータを見ていただけませんか」
 コッタ―教授は、そのデータをアメリカにもってかえりました。 そして耕一が新しい発見をしたことに気ずき、その発見内容をアメリカやヨーロッパの研究者たちに紹介したのです。
 つぎの年、耕一はイギリスの科学雑誌に論文を発表したのです。

 たんぱく質のイオン化の研究において、世界で最初にその原理を発見し、発表したことで、ノーベル賞を受賞することになったのです。

 <あとがきで……>
 2002年10月9日の夜です、島津製作所につとめる田中耕一さんと言う人がノーベル賞を受賞したことを知りました。受賞したひとが、大学で研究を続けた教授や博士ではなく、民間企業の一研究員だったことにおどろきました。
―――省略ーーー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー--ーーーーーーーーーーーーーーー
 ……
 「しまった。失敗をした」という常識ではしないことを、やって、この成功につながったと、
ありました。たゆまぬ努力され、まじめに熱心に取り組み……ノーベル賞。
 なんか素晴らしいですよね。今からの子どもたちもそうやって、夢をもってかなえてほしいなぁ。と思うのです。

 短歌
 
     「暑いね」とひとりごという夏の夜も静かに秋は訪れている

 俳句

  ふわぁひと葉眼の前に落つ秋のくる

 川柳

  災害の悲しみになれそれで泣け


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フェアリーグランマ

Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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