おばあちゃんのひとりごと

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「ああ、これはテレビを見ているときの顔と同じではないか」と思うことがあります。

 人生そのものが試行錯誤の過程である。なんの過ちもおかさない
 人は、何もしない人たちである。過ちが足しになるのは、われわ
 れが失敗から学んだ時である。
                     p・スローン

 今朝は曇り空。明日はお彼岸で明日はお寺におまいりに出掛けます。
寺の近くに住んでおられる友人が「一諸にランチしようね」と誘って
くださるので、お寺のおときをいただかずに、友人に会いたいので、
会うが嬉しい。半年ぶりかしら?そして、明日はご先祖様にもご挨拶。
そして、駅に着くと息子夫婦がお寺まで送ってくれます。久しぶりに
息子や嫁に会えます。なにより嬉しいわあ。
 帰りはその友人が駅まで送ってくれるのです。

 しみじみと私って幸せ者と感じるのです。

 昨朝モーニングコーヒーに行きましたが、奥のほうにいつもの方が
2~3人おられましたが、二人席が空いていたので、短歌や俳句にと
じこもりたくて、ひとりでいました。皆さんは私がそういう人だと、
わかっていてくださるので………ゆっくりとしたこころでいました。
 マスターが、にやにやと笑いながら話しかけてこられ、
「今日は出歩いちゃぁダメですよ。家でじっとしてないとね」
「そうよね、風で飛ばされちやうからね。ちょっと軽いから、危険ね」
「違う 銀杏の樹が折れて、倒れて当たると大変だでね」
「軽いから飛ばされるということだと優しいなぁと、思ったのに…」
 って大笑い、アッハアッハ。
 そのあとは、まだ雨が小雨でしたので、街を散歩しあとは家で、台
風の雨のすごさを見てた。怖い。怖い。あちこちでの被害に心が痛み
ます。そして、この強い雨と風に……。
 こんな日は、子らやら嫁やら孫らが、家にかえったかなぁ?と、気
になるのですが、友人から電話が入り、そのことを考えずにおれて、
でも、友人の悩みに対して、しばらく話すものの、自分の会話力のな
さに、なんだか、切ったあと「ああ」と、がっくりする。
 気持ちを上手く伝えられなかったなぁ…でも、少しは力になれたか?
と、思いつつも自分が、少々落ち込むのだ。ホントいくつになっても、
成長のないわたし。もう、忘れよう。


  「百害あって一利なし」というのが取り越し苦労なんであります。
                 中村天風

  ☆☆なんとかなる どんなことも☆☆

     いくつになっても
     ダメなんだな
     なんだか思いを
     うまくは伝えられないな

     でも いいかぁ
     その身になって 考えて
     必要な大切なことは
     言えたかもだ

     もういいや
     考えるのはやめよう
     なんとかなる
     なんとかなっていき
   
     真剣に悩む人ほど
     必ず道は出来てくるもの
     みんないい道がひらくものよ
     大丈夫 安心しよう そう思う

-------------------------------------------------------------------------
朝には紅顔ありて
             大谷光真 著
 今朝、大きな声で、「おはよう」といいましたか?

 「最近の子どもたちは………」
 この言葉に続くのは、たいていが否定的な話です。誉め言葉が続く
ことなどは、まずないと言っていいのではないでしょうか。
 では、それは最近の子どもたちがいけないのかと考えてみますと、
そんなはずはないのです。子どもたちがそうならざるをえない環境や
状況をつくってきた大人のほうにも責任があるはずです。にもかかわ
らず、あたかも子どもたちが悪いかのように不平不満を言いたてるの
は、おかしな話です。子どもたちのことをとやかく言う前に、まず大
人たちから姿勢を正さなければならないところです。

 たとえば、挨拶について考えてみましょう。
「最近の子どもたちは、きちんとした挨拶ができない」ーー。いいえ、
正確には、最近の大人たちがきちんと挨拶をしなくなっているために、
子どもたちもまた、挨拶ができなくなりつつある。そう言うほうがよろ
しいでしょう。
 たしかに、日常生活でふつうに交わしていたはずの、「おはようご
ざいます」、「こんにちは」、「いただきます」、「おやすみなさい」
といった挨拶が、どんどんおろそかになってきているように感じます。
 人と人とのあいだで、呼びかけをしてそれに応えるという基本的な
かたちが崩れはじめているのかもしれません。
 学校の先生がたが、「その一因はテレビ文化にあるかもしれません」
と言っておられました。
 —-省略ーー
 一日のかなりの時間をテレビに向かって過ごすようになったことに
より、人は徐々に、互いに挨拶を交わし、返答をするという習慣を失
いはじめたのではないか、そんなふうに考えることができるとおっし
ゃるのです。
「最近の子どものなかには………」ひとりの先生がさらに続けられま
した。

「授業中に顔に表情の乏しい子が多いのです。ポカンと口を開けてこ
ちらを見ている子どももいて、「ああ、これはテレビを見ているとき
の顔と同じではないか」と思うことがあります」
 なるほどと、思わされるお話でした。

 禅で師匠と弟子が問答をし合うことを「挨拶」といったそうです。
 また、挨拶という漢字の語源を調べてみますと、「挨」の字には、
「ひらく/つきすすむ/おしすすめる/ちかずく」といった意味があり、
「拶」には、「せまる/きりこむ」という意味があるといいます。して
みれば、挨拶とは、自分を開き、人に近づき、人に迫り、互いにここ
ろを通わせ合うことといえるのではないでしょうか。
 私は、どんな世のなかであっても、人が明るく元気に挨拶がかわせ
る社会であってほしいと願っています。ですから、これからを担って
いく子どもたちにも、挨拶の大切さをわかってほしいと思います。
 その一方で、「街で知らない人に声をかけられても、ついていって
はいけませんよ」と、まるで矛盾するようなことを子どもに教えなけ
ればならないような現状に、不安な難しさも感じます。
 
 人をだまそうとする人間は、人の目をまっすぐに見ることができな
い、挨拶ができない、などといわれます。こころを外に閉ざしている
ゆえに、自ずとそうなってしまうのでしょう。
 そういう意味でも、積極的に、気持ちのよい挨拶のできる人間は、
よからぬことを考えるようにはならない―ーー私はそう信じたいと思
うのです。
 あなたのご家庭では、けさ、大きな声で家族が「おはよう」と挨拶
を交わしましたか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 昔のこと、嫁いですぐの頃、義祖母には、「おはようございます」と、
気軽に言えるのに、大家族のなかで他の人には、言えなくて心のなかで
…なぜ…どうして…と、(おおばあちゃんは認めていてくれた)そこで、
私の考えた自分の結論は、相手が認めてくれないときは、こういうとき
お互いが受け容れる心を持たねばなそうふうに思ったものです。しかし
ちょっと自分勝手ないい方かもだけど、ね。おたがいなんだなぁってね。
  やはり、私はよからぬ悪いこころの嫁であったかも。
 当時は小さくなっていたししぼんでいたな。もつと堂々としないとね。
小さい声でぼそぼそとしかいえませんでした。今なら、しぶとくなり、
きっと、平気で言えるのにね。だから、誰に対しても優しく受け容れる
こころでありたいと思うのです。そういう人でありたいのです。
 
 そしてその「挨拶」の大事さを、思うのです。

 短歌

  ぼんやりと台風の風雨ききながら子ら孫らは家についたか

 俳句

  案じつつ台風ニュースを見る夜長

 川柳

  台風の雨音聞いて静かな夜


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フェアリーグランマ

Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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