おばあちゃんのひとりごと

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「なんじ、いずこより来たり、いずこへ旅せんとするや?」

 臨終の夕まで修業と知るべし。
         上島鬼實

 どんな人でも生きている限り存在の必要がある。
         エマーソン

  

 今日は忙しいのです。私の亡姉の家での法事で今から出掛けます。
10時からですので、早く出かけないと、ちょっと遠いからね。姉は私
より13歳上、もう、亡くなりましたが、可愛らしい優しい姉で、小さ
い頃はなにも知らなかったのですが、養女だったんだそうです。
 亡両親が子どもが欲しくて、ちょうど、姉の話しがあり、すぐ養女
にしたそうです。
 母はまだ、二十歳(父は八歳上)そこそこだと思うのですが、手作
りで、自分の浴衣をオシメに作り替え、泣くので一晩中父と母は交代
で、部屋の中を抱いて歩いた。と、大人になってから聞いたことがあり、
ます。もうむかし、むかしのことです。 
 姉を養女にしたそのあと亡兄と姉とわたしと亡妹が生まれたのです。
5人兄妹となり、ねえちゃんはいちばんうえのねえちゃんです。
「ねえちゃん。ねえちゃん」と、みんなが、大好きな姉でした。
(小学生ニ年生のときに嫁いでいきその時の寂しさが忘れられなくて)

 その姉の宮参りの写真は亡両親に抱かれ三人で写してあり、綺麗な
産着を着て、当時は両親も、若くて素敵で写真館で写したのでした。

 赤ちゃんのねえちゃんが一人の写真もありました。よく見たもので、
私や妹の写真などは、一枚もありませんのでね。赤ちゃんの写真が、
珍しくて可愛らしくて、小さい頃はアルバムを出しては見ていました。
 そのセピア色になった写真を両親が亡くなったときに、姉ちゃんが
焼きまわしをしてくれ、みんなもらいましてね。
 若い父と母、そして赤ちゃん、いい写真で、大事にしているのです。

 もうみんな死んじゃいました。今は、5歳上の姉とわたしだけです。
 その養女であった姉の子どもの甥と姪は私と亡妹とは、年も違わず
姉弟のように仲良しで、いつも、泊りにきて、遊んだものでした。
 もう、むかしのこと。
 ねえちゃんも年をとって父母も亡くなってずいぶんたったときに、
(結婚してからというもの、みんな大家族へ嫁ぎ忙しいばかり……)
話してる暇もないまま、なにかの折り……二人でいたときにね。
 「わたしのお母ちゃんは、お母ちゃんだけ……」と、いっていた。

 どんなご両親であるのか、なぜなのか、事情も何も知らないのですが、
 お義兄さんは、亡姉から聞いているかしら?知っておられるかなぁ?

 ときどき姉ちゃんのことを思い出し「ねえちゃん」と呼んで、ねえ
ちゃんを思うのです……。きっと、どこの家にもいろんなことがある
ことでしょうね……老いてしみじみと亡姉のことを想いだすのです。
 今日はその甥や姪に会えます。お義兄さんにもね。

    肥料

  あのときの
  あの苦しみも
  あのときの
  あの悲しみも
  みんな肥料に
  なったんだなあ
    じぶんが自分に
    なるための
      相田みつを

 
 ☆☆ 有り難いと思うのです ☆☆

  誰も 知れば
  知らないだけで
  いろんな悲しみ
  いろんな苦しみ
  いろんなことあるもんです

  なにかがあるとじぶんだけ
  どうして? なぜ? 
  思ってしまいます
  でも 誰にもあることを
  老いるごとに知ります

  それが生きていることなのです
  だから いつも楽しく明るく
  いきたいと 思うのです 
  そして ありがたいと
  思うのです

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 朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて
                 大谷光真 著

  あなたはどこから来たのでしょう
 ――-省略―――
   万一尺の天地
   水馬(みずすまし)しきりに 円を描ける
   なんじ いずこより来たり
   いずこへ旅せんとするや?
   ヘイ! 忙しおましてナ!
 これは、村上志染という詩人の「水馬」という題の作品です。前段のまじめ
な調子と最後の一行とのギャップがユニークで、印象深い詩です。
 私たち人間が忙しい忙しいとかけずり回っている毎日も、仏さまから見れば、
ミズスマシが「しきりに円を描ける」のとなんら変わりはありません。「方一
尺の天地」、つまり三十センチメートル四方程度の空間で、あくせくと走り回
っているようなものなのです。
 「おまえは、どこから来てどこへ行くのか?何のために生まれ、生き、死ん
でいくのか?」と、ふと疑問に思う瞬間が、誰にでもあります。けれども、そ
れは簡単に答えが出るような問題ではありません。そこで面倒になって、「そ
んなことを考えている暇はない。その時間があったら、仕事をひとつ片付けら
れるではないか」と考える。そうして日々が暮れていく―――そんな人間の姿
が、最後の関西弁の言葉から滲みでてくるようです。
 はたして、それでいいのでしょうか。どんなに忙しいといったところで「方
一尺の天地」であがいている身です。

 浄土真宗中興の祖といわれます蓮如上人のお手紙に、「白骨の御文章」と呼
ばれているものがあります。そのなかに、大変有名なこんな言葉が出てまいり
ます。

 「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり
 朝には大変元気であった者も、夕方には死んで骨になるかもしれないという、
人間のはかなさを語られているのです。
 この言葉に思いを馳せると、忙しいという理由で自らを振り返ることから逃
げ回ることが、自分のためになるとは思えません。ときには、「なんじ、いず
こより来たり、いずこへ旅せんとするや?」と自分自身に問いかけ、そのこと
をじっくりと考えてみるゆとりが必要なのではないでしょうか。

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 若いうちは、忙しい忙しいだけだったなぁ……。
 いまは、じっくりと考えるゆとりがあるというに……。
 情けないことに、考える思考力がなくなっているわぁ……。
 ただ、老い 知らずに 日日がすんでいってしまう。

 短歌

   法事ゆく皆に会えるが嬉しくてお経もまた有り難き哉

 俳句

   枯れ葉落つ目の前にひと葉さししめす

 川柳

   ゆうやけやおさなに見たを懐かしむ

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フェアリーグランマ

Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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