おばあちゃんのひとりごと

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一粒の米が口に入るのは、「100人の人のお陰」という……

 「なんまん なんまん ありがとう」
 子どもにも覚えやすい祈りの言葉。いいときも 悪いときも、ありがと 
 うと感謝する心を持ち、できるだけ正しく生きようと 努めてきた。
                         稲盛和夫

 ああ。もう後一日ね。心から訪問くださってありがとうございます。
 そして、感謝ばかりです。だって、みなさまの訪問が嬉しくて頑張れるから
です。嬉しい。ありがとう。
 今朝は晴れて、また、嬉しいわ。なんまんだぶ。ありがとう。だわ。

 わたしも、いつも、どんなときにも心の中に「なんまんだ仏」そして、なに
かの折には、つい「なんまんだぶ なんまんだぶ…ありがたい」と心の中でね。
これは嫁いだ時におられたおおばあちゃんのおかげさまだわぁ………だなぁ。

 昨日は、いつもお世話になるご近所のおばあちゃんにお礼がしたくて、帽子
を鍵針で編み、あげたいなぁと偶然に会えることを心で祈りながら外に出たら、
ちゃんと出会えました。こういうときは、不思議な力にひっぱられるのを思い、
感じます。
 お洒落な毛糸で編み、花も編み、ちょっとつけたらね。可愛いの。自己満足。
 差し上げましたら、大喜びしてくだされ私が嬉しくなりました。今年中にお礼
が出来てホッとしたのです。夕方散歩に出たら、遠くの方におられかぶっていて
くださいまして、ありがたいなぁ…と思ったのです。いい日。ありがたい。

   
      べんかいの
      うまい人間
      あやまりッ 
      ぷりの
       いい人間
           相田みつを


  ☆☆ 馬鹿めぇと自分にいうの ☆☆

      ときどき
      なんてバカなんだ
      ひとりいうのです

      いろんなときに
      馬鹿めぇ
      ”考えろ”とじぶんにいうの

      ああ ああ と
      ためいきをついて
      なんとかなるかぁ

      そうして
      お馬鹿め 
      こころの中で”お馬鹿”さんのわたしに

      ひとりごとをいってるわたし 


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 美しい人を「所作」の基本
                桝野俊明 著

 食べ物をいただくとは、
 命をいただくこと

 食事のときに「いただきます」ということは誰でも知っています。では、
何をいあただくのでしょうか。目の前に並んだ料理をいただくのはもちろん
ですが、料理の食材である肉や魚も、野菜類も、もともと生きていた。つま
り、命があったものです。いただくのはその命。
 まさに尊い命をいただくのですから、心から感謝の思いを込めて、この言
葉は発せられるべきでしょう。しかし、さまざまな場面で食事風景を見てい
ると、手を合わせて「いただきます」といっている人はほとんどいない。料
理が置かれるか置かれないかのうちに、もう、箸をつけていることも少なく
ありません。
 手を合わせるのは心のなかででもいいし、「いただきます」をそっと呟い
たっていい。その所作で感謝の思いが広がるのです。姿勢もピシッとしたも
のになるはず。料理にかがみ込むようにしたり、足を組んだり、テーブルに
肘をついたり……なんてことはできませんね。
 禅の修行中は精進料理ですから、動物や魚はいっさい食べません。これは
できるだけ殺生をしない、という意味からです。青菜や根菜などの植物は、
根絶やしにしないかぎり、命は失われず、また、再生します。ところうが、
動物や魚の命はいったん失われたら二度と蘇ることはありません。そのこと
を思い致せば「いただきます」をいうことの大切さが、いっそう強く実感さ
れるのではないでしょうか。
 食べる行為を修業として重んじている禅では、その食事作法として「五観
の偈」を定めています。その偈の大まかな意味は次のようなことになります。

一、たくさんの人の働きで、今この食事があることに感謝しながらいただく

二、このありがたい食事をいただいていい自分なのか、おこないを反省してい
  ただく

三、貪りや怒り、愚かな心がないか、問いかけながらいただく

四、体も心も健全に保ち、修業を続けていくための良薬としていただく

五、人間としてより高い人格を磨いていく(成道をなすために)。そのことを
  思い、合掌していただく

 とりわけ、最初の「たくさんの人の働きで……」ということを私たちは忘れ
がちです。当たり前のように食事ができる、と思っているかもしれませんが、
一粒の米が口に入るのは、目には見えない大勢の人の働きのお陰です。
 禅では「100人の人のお陰」という言い方をしますが、稲の種籾をつくる人、
苗を育てる人、田植えをする人、草取りをし、肥料を与える人、さらに刈り入
れ、脱穀して米を贈りだし、流通経路に乗せ、販売……というふうに、そこに
かかわる数えきれないほどの人たちのお陰が重なって、はじめて私たちは米を
食べることができるのです。
 それを思っただけで、食事の所作はおろそかにできません。心がこもったも
のになるはずです。

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短歌

 今年ゆくすぐ来年が今年になるアッと思う間つかの間です

俳句

 いよいよに今年が終わる師走かな

川柳

 しあわせは自分のこころ決めるのです
 

 

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Comment

ありがとうございました

すてきな言葉をたくさんありがとうございました。
お元気でそしてしあわせいっぱいの新しい年を
心よりお祈りしたします。

  • posted by PERN 魔女の手紙バンコク
  • URL
  • 2016.12/30 12:05分
  • [Edit]

Re: こんにちは、ありがとうね。


 心の優しさが、いつも、つたわってきます。

 いつも、明るくて、溌剌とされて、とても、素敵です。 
 ありがとう。どうぞ、しあわせいっぱいの年になりますように、お祈りしています。
 有難うございます。感謝です。
  • posted by フェアリーグランマ
  • URL
  • 2016.12/30 15:21分
  • [Edit]

こんにちは。

子供の頃に米の一粒も疎かにしてはダメと躾けられました。
稲刈り後の田で落ちた籾を拾い廻った事を思い出しました。
食べれることに感謝の気持ちは後生に伝いたいですね。
  • posted by S-masa
  • URL
  • 2016.12/30 21:48分
  • [Edit]

Re: おはようございます。いよいよ、今年は今日までですね。ありがとうございました。

むかしはそうでしたね。お櫃のご飯粒まで、こそげていました。母が「ちゃんと食べなさい」とね。
そのひとつぶが、なかなか美味しくいただけたもんですが、いまは、残して平気な人が多くてね。
すっかり私が老いた証拠かも。でも、いつも、そういう人でありたい。

あなたさまに、こうしてコメントをいただけて、幸せです。ありがとうございます。
そして、今年も無事に生きて頑張れましたわ。
百歳までも生きれそうな頑固なる私も、ときどき、考えますの。ふふふ。

どうぞ、幸せいっぱいのよいお年をお迎えになってね。お祈りいたしております。
来年も、どうぞ、よろしくお願いいたします。

 いろいろと、励まされました。感謝してます。ありがとうございました。
  • posted by フェアリーグランマ
  • URL
  • 2016.12/31 08:03分
  • [Edit]

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Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

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