おばあちゃんのひとりごと

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真っ先に母を求める。母を求めてひた走りに走る。そして”母”と言う不思議な世界に包まれて……

 子を知ること親にしかず。しかし、子を知らざることも、
 また親に如かず。
              徳富蘆花

 子供が親を馬鹿にするのは間違いだが、親も子に馬鹿に
 されぬ要心が肝要だ。
              徳富蘆花

  カナダでの世界スプリント選手権小平奈緒さまが総合優勝、30年ぶりとか
(黒岩彰選手1987年)女子では初めてとカ。、札幌冬季アジア大会フィギ
ュア男子宇野昌磨選手が優勝。みんな頑張ってて、頼もしいです。
 さあ今日もいい天気の予報。散歩を頑張ろうと思います。
 昨日のこと。友人が、3月のお茶会のチケットを送ってくだされた。
 一枚1,500円でびっくりしちゃうな。でも、この友人はいつも優しくて、
暇な私に、いろいろと送ってくだされ、私は、有り難く頂き、コンサートや
ら、お能やら、狂言やらを楽しませていただくのです。お礼の手紙を書いて
出すのです。いつもながらに、いつも変わらない優しさに感謝ばかりです。
いろんなチャンスをいただけます。私では、行けない世界ばかりですもの。
 ただ、ただ甘えているのです。 

        *

    お釈迦さまの言葉

    楽しみて 善に赴(おもむ)け
    慎みて 悪にゆかざれ
    心して 良く振る舞えば  
    今も未来も みな楽し
               (法句経)

        *

   ☆☆ 四季の風の中で ☆☆

    北風は心を吹きぬけます
    その冷たさに身も心も耐え
    そしてひきしまります

    春の風は美しく咲いた花を散らせ
    その華やかさのなか心には泣きたいような
    一抹の寂しさを残しゆきます
    
    あの心地よい涼風は
    熱い太陽の光さえもさえぎる緑の木々をぬけ
    緑陰の下ねむりを誘う

    さわやかな秋風は頑張れよの
    声の聞こえ厳しい寒さの予感のなか
    強い勇気を運んでくれます

    そうやってそれぞれの風たちに
    悲しみを忘れさせ楽しみやら喜びをもちくる
    四季のかぜに励まされ生きむ
    

----------------------------------------------------------------------------------------------
尼僧が語る「愛の法話」45編
 幸せは急がないで
        青山俊菫
        瀬戸内寂聴 編

 第27話
 母親は「カカさま」「ハハさま」と呼ばれたい

 わが子をわが命として抱きしめる母の姿、安心しきってその胸に抱かれ、乳房を
まさぐり、あるいは眠る幼な子の姿。
 世に、母子の姿ほど美しいものは、ありません。
 しかし、近ごろの母の姿を見ておりますと、”これではいけない”と叫びたくなる
場面に出あうことが多い。
 最近、心にしみた忘れられない2つの詩があります。

私のおかあさんは、私が学校から帰ると
「おかえりなさい」といつもにっこりしながいってくれる。
どんな、おもしろくないことがあっても、
「おかえりなさい」ということばで、もりもり元気になる。
おかあさんの「おかえりなさい」ということばを、にほんじゅうの3年生にきかせて
やりたいなあと、いつも私は考える。(古旗裕子)


「勉強しなさい」
またお母さんにしかられた。ノートに、お母さんの、おこり顔を書いてやった。
かみの毛がぼさぼさで、耳が立っていて、つのが、出ている。
まるで鬼のようだ。
ぼくは「ヒヒヒ」と笑った。
でもあとで
「ごめんなさい」と云った。(藤崎剛志)


―――省略ーーー
 教育心理学者の伊藤隆ニさんは「子供は寂しくなったときも、そしてうれしくなっ
たときも、真っ先に”母”を求める。母を求めてひた走りに走る。そして“母”という不
思議な世界に包まれて、心から安らぐのである。専門語で”子宮回帰”というのである
が、子どもは意識の下で、かって過ごしたもっとも安定した”場”ある母の胎内に帰り
たいなという願いをもって生きている”と語り、、さらに「子どもにとって原点とも
いえるその”母”が鬼になり、悪魔になって子供を苦しめはじめた。”母”の最大の役割
は、安らぎの“安”の漢字が示すように、“家の中でやさしくおおらかに、そしていつ
でも微笑んでいる女性”であること。そのことにあるのに、その“母”が子供を叱り、急
(せ)かせ、勉強を迫る調教師になってしまった」
 とも語っています。
 お地蔵さまをお詣りするときのお経(真言)は「オン・カカ・カビサンマエイ・ソ
ワカ」です。この「カカ」は、牱々大笑の「カカ」で、ハハと同じように笑い声を意
味し、「カビヤンマエイ」は、微笑む姿を意味します。
 地蔵とは、“すべてを蔵する大地”と書きます。
 大地のことを英語では「グレイト・マザー」と言います。つまり、”母なる大地”と
いう意味です。
 危険なものも汚ないものもすべてより好みなく抱きとり、はぐくむ母なる大地。
 その大地の願いを誓願としてこの世に出現された地蔵菩薩を表現するのに、“笑い
声”と”笑顔”を失って「ママゴン」になってしまった母親の育つ現代の子供たちの悲
しみを、明日の日本を背負う子供を育てる”ハハ”の責任の重さを思う。今日このごろ
でございます。
                       1999年11月20日初版1刷発行
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 これは、ちいさい私、そのままだわ。いつも、学校から帰ると、母の声を聞く
まで、あちこちを探したものです。こんな年になっても母を思った日を……思う。
 田舎の家は広くて、庭も広くて(子供の視線)そこいらじゅうを顔を見るまで、
探して歩いたもので、これを読んで”母”を想いだしてしまいました。今とはすべて
何もかもが違う時代。子は母を思い、母は子を思うのはいつの時代も同じだと思う。
 しかし、私は母としては~~~大家族の中~~~だったなぁ。ふふふ。

 短歌

 ときどきにすっかり元気なくなってしばし閉じこもり気楽なひとり

俳句

 一茶思い悲しみ思い春近し

川柳

 春闘の旗かかげ車走りゆく

 
 
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母、百態

こんにちは
母は八四歳で亡くなりました
送ったあとにほっとしたことを憶えております
「もう、これで何処へもいかなくなった」と思ったのです
最期の一年は病院で過ごしました
仕事をしていても電話が鳴りますと
もしや母が、と思う毎日でした・・・・
母を送る十日ほど前のことでした
家人は老いた母の髪をとかし
足の爪を切りました
このとき
家人に母をみました
もう歩くことは無いだろうと思う私には
足の爪を切るという行為が眩しかったのです

思えば楽しい母でした
(満州からの引揚でした)
弱音や愚痴はついぞ聞かされませんでしたし
晩年は二人の孫と
毎日笑っておりました

ところで
おいらはかみさんに飽きましたので
若い女と逃げようかと思っておりますが
いかがでしょうか?
あはは。
  • posted by はしびろこう・ウナ
  • URL
  • 2017.02/27 16:20分
  • [Edit]

いいおかあさまですね。

はしびろこう・ウナ さま

いつも、ありがとうございます。
なんだか、心にしみますね。
お母さまの姿が浮かぶようです。

~~晩年二人の孫と、毎日笑っていました~~いいですね。

さぞ、お幸せでしたね。お母さまは、良かったですね。
引き揚げなされたということは、ご苦労なされたのでしょう。ね。
そして、弱音や愚痴を話されないとは、ご立派です。

わたしも、そうやって過ごしたいと思いつつ、なかなかね。
わがままな私ですので、反省しきりです。
こういう、いいおかあさまの話を聞くと、そうならなくちゃぁ……と、思うのです~思うだけ。

ところで、
そういう夢があり……元気があり、いいですね。


 あらら・・・。
 若い男と、逃げたいと、むかし、私、思ったんです……。
 ところうが、それより、早く、わが夫は、あの世にひとりで、逃げてしまいました。
 きっと、あの世に、若い女性が待っていたのかも……。
 いかがでしょうか?

 あはは。笑えますでしょう。

 涙あり、笑いあり、心から、有難うございました。
  • posted by フェアリーグランマ
  • URL
  • 2017.02/27 20:18分
  • [Edit]

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Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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