おばあちゃんのひとりごと

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書物とは友人同様、数少なくあるべきであり、そして、よく選択さるべきだ。

 この生涯において、何度も読み返し得る一冊の本をもつ人は
 しあわせである。さらに数冊をもち得る人は至福の人である。
          フランスの文学者 モンテルラン

 右ほとけ左衆生と合わす手に中にゆかしき南無のひと声
          旧い歌

 書物は魅力があるもんおです。亡き父が本好きでした。とても大切にする
人で本を大事にしないと叱られました。その教えが有り難いなと思うのです。
 だから今も、好きな本はいつも傍においています。
 昨日は、早朝に散歩に出たら、面白いおじいさんに合い笑えてね。
 近くのお寺の新築工事が、もうだいぶ出来てきて工事の柵のシートの間から
工事状況が少し見えるので、そこを、そのおじいさんがのぞくように見ておら
れたので、つい、私のこと、声をかけていました。
「もう、だいぶ、出来てきましたね。すばらしい建物ですね。立派…」
「そうだよ。もうあと一ヵ月くらいでできるなぁ」
「もう、出来上がりますかねぇ。まだかかりそうに見えるけど……」
「お寺も”商売上手”だわな。また、もうけらっせるわな……」
「そうですね。儲かったがいいですよ……」
「そりゃぁそうだがね。大儲けを今からするな……」
「アッハ アッハ 朝から楽しい元気出る話をありがとうございます。」
「わしも商売人だで、わかるわい~~儲けるがいいわ……」
「そうですよね。朝から楽しかったです。」
 と笑って、お互いあっちとこっちに~~朝から、楽しいこと。勝手なことを
言っては、お寺には申し訳ないですね。

         *

      詩  
             坂村真民

    両手を合わせる 両手で握る
    両手で支える 両手で受ける
    両手の愛 両手の情
    両手を合わせたら けんかもできまい
    両手に持ったら壊れもしまい
    一切衆生を両手に抱け  

         *

  ☆☆ そうやって過ごしたい ☆☆

    なんでもが当然
    当たり前に過ごす毎日
    そう思っていると
    なんにも感謝なんてしない
    当たり前の毎日だもん

    でも今日もまた
    元気に起きれて嬉しいな
    朝食を美味しくいただけたわ
    こまることもなくおかげさま
    うれしいことです
    
    自然に右手左手合わせてる
    みんなが元気
    わたしも元気
    感謝がうまれる
    ああ ありがたい ありがとう

---------------------------------------------------------------------
 十八史略の人物学
                 伊藤 肇 著

 32 現代に甦る一冊の書「論語」
 
 東洋思想の三つの流れ
 「書物は友人と同様、数少なくあるべきであり、そして、よく選択さるべきだ」
とはトーマス・フラーの名言だが、この選択には、多少の時間と人間の成長度が
かかってくる。
 憲法学者、森戸辰男が述懐している。
 「一高へ入ると、私はキリスト教的なヒューマニズムの教養とトルストイやイ
プセンの文芸に魅せられた。また、大学へ入ってからは、第一次大戦後の時代の
影響もあって、社会思想の面でマルクス主義と無政府主義とに傾倒した。つまり、
私は西洋文化一辺倒の方面に押し流されて、東洋の教学の心は一隅に屏息させら
れてしまった。その一転機がきたのは、第二次世界大戦以後のことで、アメリカ
型民主主義の偏向によって日本国民が洗脳されようとしたとき、私の心に東洋の
伝統がめざめてきた」
 その東洋思想の中で、とくに森戸をとらえたのは、「幽遠に見えても、危機と
の対決を回避した老荘よりも、実践的にこれに立ち向かった孔孟、なかんずく、
「論語」であった。
 森戸と同じような経路をたどった学者に、小泉信三がいる。
 「ボクも慶應を出て、ロンドン経済学校からベルリン大学、さらにケンブリッ
ジに学び、西欧の学問一点ばりできた。しかし、今ごろになって、東洋学を何故
やらなかったか、と悔やまれてならない。これからじゃ、日暮れて道遠しの感じ
でね」と、晩年のある会合でふともらした。
 しかし、一口に東洋思想、東洋学といっても、三つの大きな流れがある。 
 それは儒教と仏教と道教である。
 まず一般的に東洋学といわれる儒教をやるとなると、孔子の「論語」から入る。
すると、どうしても「孟子」を読まざるを得なくなる。ところうが、孔子の系統
の中では、孟子は理想主義者だから、これだけでは、どうしてももの足りなくな
って、現実主義の、社会派の「旬子」を併読する。
 そのうち戦国時代に入って、黄老思想が融合してきて、否応なしに「老師」や
「列子」や「荘子」へ入ってゆくと、今度は漢代になって、老荘系と孔孟系とが
渾然一体化し、ここでいわゆる五経が完成される。
 さらにこれが後漢になると、印度仏教が渡来し、五経と交流して、独特の中国
仏教ともいえる禅が生まれ、一方、中国思想からは道教が芽生えてくる。
 大ざっぱに眺めただけでも、これほど東洋思想の伝統は広くて深い。この大き
な体系を勉強するということは、全く気の遠くなるような思いがする。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 私も読みたいけれど、難しくて、とても無理だわ。でも、長崎の曹洞宗の寺の、
 八十歳になった法泉和尚さまは「八十歳になって英語を勉強しても……」……。
「うんうん遅すぎたわい。でも生きているうちに単語を一つ覚えておくとな、今
度うまれてきたときに勉強が楽だからな。わしは死ぬまで単語覚えるんじゃ……」
といわれたとか? そういう心でいるといいですね。私には無理かな?ふふふ。

短歌

 弥生月ひな祭りさえ感動もなくなんとなく過ぎてゆく老いよ

俳句

 春は名のみ寒しコート着て散歩

川柳

 あたらしいファッションがかわりゆく


 
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Comment

指は『紙』を憶えております

おはようございます
何度も読み返している本が
七冊ほど
それ以外でも自意識の確認に
たまに開ける本も
面白いことに
開ける度に違うなにかを
発見することも
活字は変わることはないので
変わったのはおいらでしょうか?
物欲が少しづつ減り
金銭欲もしぼみました
あはは。
  • posted by はしびろこう・ウナ
  • URL
  • 2017.03/06 09:39分
  • [Edit]

書物も指を覚えていることでしょうね。

はしびろこう・ウナ さま。

 こんにちは。
 そうそう。同じ本が読みたくなりますものね。
 何度も読み返します。好きな本は、とくに。ね。
 でも、そうですよね。、心が成長したのか、それとも、自分の性格が変わったのかしら。
 と、考えちゃいますよね。
 いままでいいと思ってたところより、違うところに、心魅かれるときがあり、不思議に思います。

 新しい発見しますよね。わたしもあります。

 ―――違う何かを発見する―――いいですよね。大事なことと思うのです。活字(本)は、かわらないというにね。

 でも、変わっていくのは、”おいら” ”こころ” でしょうか。私もそう思いますもの。

 物欲も、…ないない…と思ってるのに、”ない”と思ってるのに、思っているだけ……あるんです。わたし。

 ないと言いつつ、消えることがないのですもの。物欲にも果てのない。わたしでございます。

 ”欲はないそうは言いつつあれ欲しい” これがいい。ふふふ。

 金銭欲は、なんと、金銭に縁がないものですから、諦めています……ありません。
 アッハ アッハ。すみません。もうしわけございません。私のことなんです。

 コメント有難うございました。
 
  • posted by フェアリーグランマ
  • URL
  • 2017.03/06 17:16分
  • [Edit]

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Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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