おばあちゃんのひとりごと

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「口は災いの門」であるとともに口はまた「幸せの門」である。

 いま死んだどこへも行かぬここにおるたずねはするなよものは
 いわぬぞ
                      一休

 父の戒めは、みなわが身の幸。
                      一茶

 子どもには、批評よりも手本が必要である。
                      ジューベール

 そうですよね。一茶は育ってきた時のことを思うとね。これ分かりますね。

 さあ、昨日はお雛祭りでした。”おこしもの” 焼いて食べました。ひとりで
おいしく楽しんでいただきました。友のおかげ。有り難い。ご近所の友人にも
少し差し上げましたが、おいしく食べてくれたかな?昨夕のテレビで、色々の
お雛様の地方のお菓子をやっていて、”おこしもの” もやっていた。そして、
”いがまんじゅう” もやっていて、それをよくこのお雛祭りはいただいたなぁ
と~~それも食べたくなっちゃいました。太る。やめたがいいな。ふふふ。
 姉と久しぶりに電話で話しながら、亡母のことを想いだしていました。
「私たちは、口下手でいかんね」
「お母ちゃんがいらんことは言うな……って、よく言われたからね」
「だから、雑談とかね、世間話が下手だよね。お世辞も言えんし…」
「いわれたことを、本当のことなんでもを信じてしまうし……ネ。失敗多いわぁ」
   ・・・・「幸せの門」でいきたいし「口は災いの門」・・・・・
 笑いながら、まあ、母は、でも賢かったよね。あと少しの人生をね。うまくね。
 もう先は短いから?長いかも? 上手くいきていかないとね。ふふふ。賢くね。

       *

   母の日記をよみました
           サトウハチロー

   ーーーーー悲しきことのみ多かりき
      されど よろこびの日もありき―――
  
   そのよろこびの日もありきという文字が
   太く強くしるされているのか

   かえってボクには
   かなしくて かなしくて………


       *


  ☆☆ わが母を偲ぶ ☆☆
                --(母は手本であったな)ーー
 
   むかし むかし ある日。
   父が突然倒れ亡くなったのだ
   大家族で田舎に住んでいたが
   さびしかろうと母をたずねた

   実家にいくと広い部屋に
   ひとりポツンと背なをまるめた母
   私を見ると微笑んだ母
   いくまわりかちいさく感じられた
 
   うろたえることもなく
   なにを話すのでもなく
   もの静かであった
   さすがに強い母だからいいな
   そう思った

   でも まもなく半年すぎたころちょうど
   雛祭りの前日だった 逝ってしまった

   入院しおだやかに微笑んでいた日のなか
   見舞いに来られた会う人すべての人に嬉しそうに
   「私は嬉しい。みんながよくしてくれる」
   「しあわせだわ。ありがとう。ありがとう」

   なんにもわかってあげられなかったな
   母は強い人だったから安心してた
   母は八歳も若いからまだ大丈夫って思ってた
   いつのときも私がうろたえてたなぁ

   もうもう遠い遠い日のむかしのこと
   父のときも 母のときも わたしが慌て涙し
   うろたえたな うろたえてばかりだった
   若すぎた? いえいえ 甘えてたよりきってたな
   亡母はいつもどんなときも 堂々としていたもの………

   もうむかし むかしのことです

  
 ――-そのときに―――
   一休さんのこのお歌を知ってたらな………?ふふふ。

 いましんだどこへもいかぬここにおるたずねはするなよものは
 いわぬぞ
   
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 小さな人生論
   ノート       藤尾秀昭 著

 18・人生の四季を生きる
 —-省略--
  松原泰道師に以前、仏教の教えは3つに集約されると教わったことがあります。
1、厳粛―ー万物は流転する。いまという時は二度と再び戻ってこ
      ない。              
2、敬虔―ー人はあらゆる「おかげ」の中で生かされている。
      敬虔にならざるを得ない。
3、邂逅―ーめぐりあいの連続によって人生はある。

 そして、この3つはそれぞれ、「ありがとう」「すみません」「はい」というシ
ンプルな言葉に還元されるといいます。
 万物は流転する中でこの命を生きているから、
「ありがとう」
 おかげを返しきれないから
「すみません」
 そして天地が与えてくれためぐり合いは拝むしかないから、
「はい」

 もう20年以上も前に教わったことですが、この教えはいまも私の中に生きています。
「ありがとう」「すみません」「はい」―ーこの3つを心の中に繰り返していくことで、
人生は善き方向に回転していくのではないかと、思うのです。

 人生の四季を健やかに生きるためにも、いつまでも心にとめておきたい教えです。

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 こころの開眼
            松原泰道 著
 心を目覚めさせる言葉
 —-省略―ー
 大阪の吹田市の、葛城先生とおっしゃる女子高校の先生が、ある新聞に投稿されたのを拝見しました。それによると、先生は挨拶をする女生徒が大変残念少ないそうです。葛城先生は、それを大変悲しく思われて、「あ・す・は運動」というあいさつ言葉の運動を始められました。私も、かげながらそのお手伝いをしております。
「あ・す・は運動」というのは、「ありがとう。すみません・はい」という三つのあいさつの頭文字です。
 まず「ありがとう」という言葉をできるだけ使いましょう。「すみません」というのはお詫びする言葉です。過ちをしたら、すぐ素直に謝りましょう。最後に「はい」という返事です。人に呼ばれたら、すぐに気持ちよく「はい」と返事しましょう。以上の「ありがとう・すみません・はい」という三つの言葉を、できるだけつかっていこうという願いです。私が今「願」と申したのは、人間の願いだけでなく、あいさつは仏の言葉であり、仏のご誓願でもあるからです。また、あいさつは本当の愛語であり、お経であり陀羅尼経でありお念仏でなければならないからです。
 つまり、私たちが「ありがとう。すみません・はい」とごあいさつするとき、このあいさつがご縁になってお幸せになるように、目が覚めてくださいよと、こころの中で手を合わせる気持ちで、朝晩のごあいさつをなさるなら、それが仏の願いということになるのです。そして相手が、ふと何かに気がつき、さらに人間の本心本性の仏性にたちかえってもらえたら、私たちは目の前で仏にであえたのです。
 —-省略―ー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ありがとう」「すみません」「はい」
 大事にして、毎日つかいたいことばです。


短歌

 今日も無事一日の過ぎありがたいひとり居の老い穏やかに過ぎ

俳句

 ひなまつりおこしもの焼きひとり食べ

川柳

 なんとなくすっかり今宵疲れてる


      
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ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

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