おばあちゃんのひとりごと

Entries

「啐琢同機」って何でしょうね   

 たいていのことは古典のなかにある。何千年も経っていろのに、人間
そのものの根本はたいして変わっていないということです。時に自分が
創意工夫して・偉大な人生の真理を発見したと思う・しかし、それは大
変な錯覚で、自分が無学ために、既に古典にのっていることを知らなか
っただけのことです。            安岡正篤

 こんな無学な私も、この言葉を実感したことがあるのです。これは?
と思った時、ある本に書かれたのを、見て「本当に~」それが時々あって!!
 無学さを知るのです。本には何だって書かれているのです。
 自分が勉強不足だったのを、知るのは悲しいものです。
 もっと若いころですよ??・知らされ、考えさせられ、苦笑い!
  …古典・歴史・人物の勉強…楽しいものです。


  最近のブログで「三つ子の魂百まで」をかきましたが~~~
 大西良慶師より
  ……「啐琢同機」(そつたくどうき)
 鶏がタマゴを抱いている。中で雛が育っている。もう出るという時期がある。
世に出るという時期が熟している。中で「チュ」という。「チュ」といいながら
内側から、殻をつつく。これが「啐」やの。
 同時に抱いている母鶏のほうも塾しているのが分かっている。母親にはその
声やつつくのが聞こえているかは判らないけど、同じように外側から強いくち
ばしで殻をつつく。「琢」しよる。
 この啐と琢がぴったり合って、雛という一つの命が、この世に誕生する。ち
ょっとでも遅れたら雛はしんでしまう。
 この心が仏法なの。人間らしくを教える。親の仕事で人間らしくの仏法を、
教える「啐琢同機」でなければならない。時機を逸したら、タマゴのなかの雛
を殺すのも同じやの。
 結論から言うと、胎教が、その時機やね。 胎内の新生児は、六か月になる
と知識が働くという。お母さんが悲しい思いをすると、赤ちゃんも悲しんでい
る。お母さんが歪んだ心を持つと赤ちゃんも歪んだ心を持つ。仏教では、六か
月になったら、三帰戒をやる。おなかのの子供に戒を受けさすの。仏に帰依し
奉る。法に帰依し奉る。僧に帰依し奉る。と言ってね、南無仏、南無法、南無
僧やね。赤ちゃんは目塞いでダンゴみたいになっているけど、ちゃんと心は通
っているの。お母さんと同じ気持ちになっているの。お母さんが口で「南無仏」
というと、おなかのの赤ちゃんも、その通りに称えている。
 そうして生まれた子が、自然に手をあわすようになり;仏法;を聞くように
なり、人間らしく生きていく。
 時機やの。
 仏様の慈悲は、人間の心を超越した真の愛なの。
  人間の愛情も、仏様に近ずけたいものやね。それが愛情のきびしさやろうね。

……

  これを読みますと、仏教でも胎教が大事にされているのね。いいなあ~
        皆さんは読む気にならないでしょうね



スポンサーサイト

Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

左サイドMenu

プロフィール

フェアリーグランマ

Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

ランキング

ブログ村のランキングに参加しています。応援してくれたら元気が出ます!
にほんブログ村 ポエムブログ 自作詩・自作ポエムへ にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村 にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村

flag counter

Flag Counter

最新記事

最新トラックバック

音楽