おばあちゃんのひとりごと

Entries

二度も戦死の公報が出されても「あの子は死ぬような弱い子ではない」と、陰膳を供え続けた母。

 人間は、結局、自分がなりたいと思う人間になる。
            ゲーテ

 世の中は福も災いもない。
 ただ考え方でどうにでもなるものだ。
            シェィクスピア 

 今朝は空は青空、爽やかないい朝です。
 昨日は、久しぶりの友人から、急に電話が入り、「博物館に行かない」って、
ちょうど、その友に渡したいものがあり、駅で待ち合わせしたが、私は、ちよっ
と、大変かなぁ疲れてしまうなあと、心が怯んでしまい……
「ごめんなさい。やはり、ちょっと心配で行けないわ」
「そうなの。体調よくない? 私、じゃぁ一人で行ってくるね……」
 と、行かれた。駅から沢山歩くかもだし?無理だと思ってね。太陽の下を歩き
ついて歩く足の速さも不安で、情けないけれど、自分に、自分で用心しないと。
 昨夕「行ってきたよ~~」元気そうな声で電話があり、ホッとしました。
 ひとりで気ままに行くならいいけれども、いろいろと考えて、私より若くて元
気いい友だから………この友もひとりのがいいだろうとね。
 やめて正解でした。ひとり、ここいら辺りを散歩してるくらがいい。さて、
エレベーターで、いつもの可愛い女の子とママさんに、偶然出会えた。
 何とも言えないひとつひとつの仕草が可愛いらしいの大好きな子とママ。
「こんにちは、大きくなったね。いい子ね。可愛いわ」
「もう、来年は一年生なんです……とょっと小さいんです」
「大丈夫よ。”今に見ていろよね”~大丈夫よ、そう思って!大きくなっていくわ」
「そうですかねぇ大きくなってほしいわ……」
「あんなに小さくて可愛い赤ちゃんだったのに、もうこんなに大きくなって…嬉しいね」
 楽しい会話し、あとでしみじみと、自分がどれほど老いたんだろうね?あらら?思う。
ひとり笑えてね。可愛い子の育ちゆくさまは、とても楽しく………ふふふ自分が……。
 老いを忘れてる。それが可笑しくってひとり笑えるんです。

      *

   なんにも欲しが
   らぬときが
   一番強い
        相田みつを

      *

   ☆☆ 大事なことば ☆☆
     
    いつもこの言葉を

     ありがたい
     おかげさま
     すみません
     ありがとう

   ただただ そう思うのです
    
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 君たち、どうする?
              小野田寛郎 著

 戦場からの帰還
 約三十年にわたる戦闘から「戦闘任務解除命令」を受けて、不甲斐なく祖国
に帰還したときのことです。羽田空港に出迎えてくれた父母に向かってただ一
言、「只今帰りました」と型通りの挨拶をしました。
 父は昔と少しも変わらず「うむ」と威厳を保ったままで、母は「よう帰って
来た。つらかったろう。ご苦労様でした。お礼を申します」と言いました。
 私は、それが当然の挨拶だと思ったのですが、周囲の人からは「何と冷たい
親子なんだろう。抱きつきもせず、涙も見せず」と思ったと後で聞かされまし
た。しかし、私はかりにも、将校としては最下位の少尉であっても軍人として
は一人前であり、しかも五十一歳なのです。片や親の方も地元ではそれなりの
人間で、年も八十半ばの老体なのです。
 私の感覚では、親は自分の家で待っていて「おお、帰ったか。無事でよかっ
たな」ですむだろうと思っていましたし、実際に父もそう主張したそうです。
しかし、種々の事情で羽田まで出迎えに来たのだと言われました。 私は母の
「ご苦労様でした。お礼を申します」という一言を聞いて、十五歳の頃に言わ
れた言葉を思い出しました。その年の誕生日に、母はお祝のお膳を前にして、
「寛郎も今日から子供ではなくなる。女の私が教えるのも今日まで。昔は元服
から男子に、たとえ母であっても女が口を挟むと、男の子は弱くなると言われ
ている」
 と言い、それからは注意することはあっても、以前のように叱ることはしな
くなりました。
 つまり男子として認めて対応してくれるようになったのです。それは私にと
っては都合の良いことでしたが、母にとってはそれからは気苦労の連続になっ
たにちがいありません。またある時に、
「寛郎は今のご時世に生まれて助かっている、昔ならとても今まで生きておれ
なかった。とっくの昔に『その場に直れ』で、お手打ちになっていた」
 とも言われたことを思いだしました。
 ――-省略―――
 私は母が「自分の産んだ子だ、いつか必ず自分と同じ大きさには育つ」と言
い続けて、二度も戦死の公報が出されても「あの子は死ぬような弱い子ではな
い」「ジャングルをさまよう姿が目に浮かぶ」と陰膳を供え続けたという話を
聞いて、その執念とも思える信念に感じ入りました。私が帰還した時、「陰膳
も果てとなりけり梅の花」と句を詠み、三十年続けた陰膳に終止符を打ったの
です。
―――省略―――
 振り返ってみて、母が命懸けでわたしのよくない性質を直そうとし、また性
質に相応わしい教えをしてくれたことが、戦場で私の命を守ってくれたのだと
感じています。「臆病」とは、慎重のあまりつい目的を達成できない行為で、
真の「慎重」とは臆病に見えても、最後に目的を達する行為だと自分なりに考
えて、敵と戦い続けてきたのでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 うーん、いい親子ですよね。お母さんの愛に涙します。うーん。母の愛。
 ――-強いですね―――
 いい母でありたい……考えてる暇もく生きてきてしまったわ………老いて、
 思う…………それが泣けます。私。そして、このお母様だからね。と思う。
 

短歌

 疲れたなひとりごと言い六月よ幸せそうな人らが街ゆく

俳句

 涼風が緑陰のしたひとやすみ

川柳

 ふんわりと愛いっぱいな親子らよ
 
 

スポンサーサイト

Comment

素敵なブログ

はじめまして~
生き方に感銘いたします
生かされ方でしょうか?。。。
  • posted by 風 蘭
  • URL
  • 2017.06/05 13:53分
  • [Edit]

なんて、”嬉しいことを〝 ありがとうね。

 風蘭 さま

 訪問くださいまして、コメントも、ね。、
 ありがとうございます。

 くちゃくちゃな生き方なんですよ。
 でも、毎日を明るく楽しくね。
 ひとりですので、なんとでもなるのです。
 それが有り難いんです。

 寂しいなんていっておれません。
 なんでもを幸せに思いたいし、思えるように………暢気なグランマでしょう。ふふふ。

 この間ね、日曜遊歩道でしたので、ゆっくり。
 禅宗のお寺の前を通りましたら、門に掲げられている額にね。

  『生きることは 
   生かされて
   いるんだと
   知ることだ』

 そうよね。誰も見て読んでいく人はないですが、
 私は、{そうよね}と ”ひとりごと” いっていました。ふふふ。


 なんでもに興味を持っているグランマなんです。

 ”素敵なブログ”

 まぁ嬉しいわ。ありがとうございます。感謝します。
 これからも、どうぞ、よろしくお願いいたします。


  • posted by フェアリーグランマ
  • URL
  • 2017.06/05 16:48分
  • [Edit]

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

左サイドMenu

プロフィール

フェアリーグランマ

Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

ランキング

ブログ村のランキングに参加しています。応援してくれたら元気が出ます!
にほんブログ村 ポエムブログ 自作詩・自作ポエムへ にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村 にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村

flag counter

Flag Counter

最新記事

最新トラックバック

音楽