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おばあちゃんのひとりごと

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なぜ、神仏は姿をお見せにならないか、考えたことがありますか?

 神仏を敬う気持が、人を謙虚にさせる。

              岡本彰夫



 一所懸命苦しい坂道を上った人にだけ、神様は

 「ここにいるぞ」と教えてくださる。

              岡本彰夫



 そうですよね。いままでにどれほど、こういうふうに、神様を頼って

きたかしら?と、思うのです。いつも、ついつい手を合わせて生きてき

たなぁ~と、思うのです。なんとなく、手を合わせるだけで、心がふう

っと穏やかになり、守っていただいていると感じるのです。


 昨夜、手紙7通を書いたので、早速、朝いちばんで郵便局に出しに行

き、その後、モーニング珈琲に行きましたら、皆様お揃いで溌剌奥様の

横に坐りましたら~~大笑いせまくなっちゃってね。

 話題は、いろんな最近のビックリするような事件の話。

 いい話はしあわせそうな”婚約発表”明るいニュースに嬉しくなります。

「素敵なご縁だったかなと思います」嬉しくなりました。初々しくてね。

なんだか、幸せな気持ちになります。

 午後は散歩に出ました。

 バスで地下街まで行きましてね。地下街を歩くのです。暑くもないし、

爽やかに歩けます。ありがたいことです。今日も5000歩達成しました。

 いつも、自分なりに努力をしているのですが、いろんなご近所さんは、

気楽に、「あなたは、足が丈夫だからいいね~~」と、言われますので、

「そのために、毎日努力しているのですよ~~」と、意地悪いかなぁ?

そう思いながらも、ちゃんと、言うのです。なんだって努力から生まれ

ると思うことが大事だと思うからです。笑顔ひとつでも、そういう努力

から生まれると思うのです。がんばらナイトね。

 

           *


   ☆ 見えないけれども ☆

            フェアリーグランマ


      なにもみえはしない

      だいじなものほど

      みえない

      

      みえないけれども

      そこにおられ

      そこで見守ってくださってる


      なんいもみえない

      あなたのこころも

      わたしのこころも


      感じることです

      すべては愛なんです

      大きく包んでくれています


      ありがたいなぁ



^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 神様にほめられる生き方

                  春日大社権宮司

                     岡本彰夫 著


 神様のお姿が見えないことに意味がある


 なぜ、神仏は姿をお見せにならないか、考えたことがありますか?

 姿が見えないからといって、存在しないわけではありません。神仏がお

られないとしたら、神主や僧侶の生涯ほどつまらないものはないでしょう。

何にもないものに真心を一生捧げるわけですから。

 もしも最初から神仏の存在が確認できたら、人々は打算をもって参詣す

るに違いありません。ゆえに人の真心を試すために、わざと神仏は存在が

わからないようになされているのです。

 ところが、神様は絶対おいでになるという確信を持つ瞬間があります。

もちろん、それまでに何度もふるいにかけられ、ときには、神も仏もある

ものかという思いにさせられます。それでも、「いや、必ずおいでになる。

きっと見ていてくださるのだ」と信じて、一所懸命苦しい坂道を上っている

と、あるときそっと教えてくださいます。「いるぞ」と。

 もっとも、この体験は人に話してわかってもらえるものではありません。

すべては偶然で片付けられてしまいます。でも、本人だけは、これは神仏の

力以外では為し得なかったと、確信を得る瞬間があるのです。

 神様は、絶対他人にわからないように、「確かにいる」ということを教え

てくださいます。

 そもそも、日本では神仏を姿で表す風習がありませんでした。

 あるとき、NHKのテレビ番組で、やはり神を姿で表すことがないイスラム

教の指導者が、こんなことを言っておられました。


「信者が心に描いた理想的な神の姿を、偶像によって損なわせないように、

神を偶像化しないのだ」と。


 つまり、偶像を作って神の姿を一律にしてしまえば、それぞれの信者が自

分なりに心に描いた理想的な神の姿を損なってしまうというのです。

 たとえば、俳句はわずか十七文字の短さですが、名句と呼ばれる俳句には

広がりがあります。言葉が少ないほど、その分想像力がかき立てられ、無限

の広がりが生まれます。

 同様に、神様のお姿を絵や像にしてしまうと、無限の広がりがある神を限

定してしまうので、古来の人々は神様のお姿を描かなかったのでしょう?

 しかし、時代がくだると、ご神体として神様の絵姿などが描かれるように

なりました。けれども、そのような絵姿を飾るときには十分な配慮がなされ

ました。

 その一例をご紹介します。

 36頁の写真は、春日の神様と仏教画が拝礼する際に用いる「赤童子」のお

姿です。このお軸を飾るときは必ずお顔の部分に白い紙を垂らし、ご尊顔は

見えないようにしてお参りをさせています。

  また、「秘仏」と称して仏像のお姿を見せないのも、日本独特の信仰だ

そうです。神や仏がその姿をお見せにならないことにこそ、深い意味がある

のです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  生活のすべては、毎日のなか、祈りであると思うのです。

  わが家の幸せも、なにもかもに、見えない神様に手を合わせる毎日。

  こんなに老いても、また、幾つになっても、祈りであり念じている。



短歌


 その話す友の愚痴から幸感ずあなたは知らずそこにある幸


俳句


 梅雨あけし暑さますますだ洗濯干す


川柳


 亡父よ亡母よ会いたくなるよ夜の闇



 

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Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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