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日本のことわざに「七転び八起き」というのがある。
僕の前に道はない。僕の後に道はできる。
高村光太郎
この道より、吾を生かす道はなし、この道を歩く。
武者小路実篤
中学生だったかな? はじめてこの「詩」を習い、衝撃を受けました。
そして「詩」を書いたリ~~なんとも好い加減な子供でした。
この詩と東京の上野美術館(?だと思う)で、初めて横山大観様の絵画を
見たときですね。生まれてはじめて…………子供ながらに衝撃を受けました。
こんなに素晴らしい絵画があるんだとね。私が小学校のときでしたが………。
横山大観さまという画家の絵 ”わらべ” の絵でしたが、絵は今でも思い
浮ぶのですが、その題が思い出せないわ。そこからもうダメよね。ふふふ。
子供の頃、絵が上手だったので、亡き父が日本画家に教えてもらうように
習わせてくれたのです。私はひとり画家の家に習いにいかされました。
遊ぶだけが取り得。その師と小学生の私。小さくなっているばかり~~。
父はきっと悲しかったでしょうね。いまさらながらに期待はずれの私でした。
大人になってからもそういう話をしたことはありません。今思い出してね。
ただ、それだけの私、結局、ものになれませんでしたわ。道をしっかり見
つけられませんでした。怠け者だったんだと思う。ちゃんと道を見つけたら、
そのための努力をしないとね。迷い道ばかりを歩いてきてしまいましたわ。
父はきっと期待してたと思います。小学生のとき「我が家のこの襖に絵を、
描いてもらうから………」と父が言った。その時、ああ私は ”描けないな”
って思ったのです。ちいさいころの亡き父の思い出です。笑えるでしょう。
さあ今日は、忙しい一日でした。嫁からメールが入り「買い物していきま
すからね~~~」
娘からメールの来て「みんなが来る日のビール・ジュース・水を送ったよ」
娘は外国にいますのでね。でも、不思議とアマゾンだかなんか?すぐにつく。
みんなが優しくしてくれてありがたい。みんなで集まる日が待ち遠しいな。
娘からまた「お母さんは私よりいいお母さんだったよ。いつも感謝してる」
………と、いろいろとメールが来たので「どうしちゃったの? 私は失格のお
母さんだよ。本人が知ってるから大丈夫。そう言ってくれてありがとう………」
元気づけようとしているわ。この娘は~~~?
ちょっとね。最近しょげ気味だった。なんにもいわなくても通じてるのかな?
ふふふ。そんなわけないカァ~~アっハ アッハ。
大家族の中で、亡舅姑のいうことばかりきかないといけない日日。子育ては
義祖母にまかせ、走り回っていた日日でした。ホント、情けない母親でしたの。
★ 道 ★
フェアリーグランマ
道を歩く
その道は
いくつもある
そのなかの道を
考えて選ぶ
決めたならばその道
ゆっくりあわてないでゆく道
間違えちゃった
さまよい まよい とまって 悩み
いまがありこの道しかなかったな
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やり抜く力
アンジェラ・ダックワース
神崎朗子 訳
この「希望」が背中を押す
―――「もう一度たち上がれる」考え方をつくる
日本のことわざに「七転び八起き」というのがある。私がもしタトゥーを
入れるとしたら、この言葉を刻みたい。
希望とは何だろう?
「明日はもっと今よりもいい日になる」と期待するのも、希望のひとつのか
たちだ。そういう希望を持つとき、私たちは将来に明るい展望が開け、もの
ごとが順調に運ぶことを切に願う。将来がよくなるかどうか、運任せと言っ
てもいい。
「やり抜く力」が発揮されるのは、それとは異なる希望を持つときだ。そ
れは「自分たちの努力しだいで将来はよくなる」という信念にもとづいてい
る。
「明日はきっといい日になる」と「明日はもっといい日にしてみせる」では
大ちがいだ。
「やりぬく力」の強い人々が持つ希望は。運とは関係ない。
何度転んでも起き上がる、それがすべてだ。
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「やりぬく力」ね。この方を思いました。
二歳の子のいのちが救われてうれしいですね。
二歳の子供さまを見つけられた尾畠春夫さんが言っておられましたが、今、
78歳とのこと、ボランティア歴25年になり、60代半ばまで鮮魚店をやっておら
れ、今は災害が起きるたびに足を運び汗を流しておられるそうです。なんだか、
「やりぬく力」ですね。こういう立派な方がおられたのもしくて、ありがたい。
「明日はいい日になる」と「明日はもつといい日にしてみせる」ではたしかにね。
違いますね。。
短歌
暑すぎてなんだか疲れ暑い夏気力までも少しずつ消え
俳句
かきちらすごと皆走る雷だ
川柳
今夏暑し今冬もっと寒いとか
こんにちは!いつも、ありがとうございます。
わたしは、武者小路実篤さんの書で、
「仲良きことはよき哉」という書が家にかかっていたのが、忘れられません。
その意味を知った時、それを掛けていた祖母の心を思ったものです。