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おばあちゃんのひとりごと

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「あれはよくできる。けれども老婆心が足りない」・・・道元禅師の言葉

   老醜はあっても、老美は辞書に無し。

            徳島新聞 森田茂


 さあ、たのしいですね。わらっていかなくちゃぁね。


 今夜は、眠れぬままに、~~



  *****短歌*****

 

  「夢かなぁ」「夢だったらな」被災地の被害に涙し無力無力


  ちひろの絵目の前に置きただ眺め男の孫のしぐさを浮かべておりぬ


  バス停で女高生の会話聞こえ「彼」の話の終ることなく


  クラシック奏でる指揮棒目で追うに老いの耳にも熱くとどきぬ


  他愛なき友との会話楽しくて心にあかりついたるごとし


  老いひとり我慢や気遣い消していた束の間と言うも果てなし人生


  現代の三種の神器アイパッドスマホパソコン楽しみたいな


  図書館で学ぶ学生のヒソヒソと話す声すら若さはじける


  いつの日かひとりになるを考えずあっという間にひとりとなりぬ


  なんでもがいまがいいのだそう思うそうしていきるがいいと思うから



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 帝王学のノート

           伊藤肇 著


 老婆心


   朽ちはてね なおをりをりは 問う人の

   心にかかる 谷の柴橋


 江戸の初期、京の南深草の里の住んで「深草の元政」とよばれたる日蓮宗の

僧で詩人の元政の作である。

 「朽ち果てね」の「ね」は否定の助動詞「ぬ」である。

 「老いて引退し、山の中にかくれ住んでいても、なお、折々は浮世の人がや

ってくる。それがどうも内心気にかかる。朽ちきってもいない谷の柴橋あたり、

危ないがなあ、などという意味で、自分自身は朽ち果てても何も思わぬつもり

なのだが……に通づる味のある歌だ」

 と安岡正篤先生に解説させた。

 また、先生はこれを「老婆心」という言葉で表現され「東洋思想十講」で次

のように書いておられる。


「曹洞宗の開祖、道元禅師に{えじょう}と{ぎかい}の二人の高弟がいました。

二人とも才長けた立派な人材で、当然、師の印可を受けるべき人であったが、ど

ういうわけか、禅師は{ぎかい}にそれを与えられなかった。

 {えじょう}は情義のあつい人でしたので弟分に印可が下らぬのを大変苦にし

まして、ある時、禅師に、『なぜお師匠様は、{ぎかい}に印可を与えられない

のですか』と訊ねますと、『あれはよくできる。けれども老婆心が足りない』と

おっしゃった。しかもなくなる時も枕元に駆けつけた{ぎかい}に『お前はよく

できるが、どうも老婆心が足りない。これから先も常にこの老婆心を心がけよ』

と遺言をしておられる。

 才智、技能にすぐれているのは望ましいことですが、それだけでは人間として

失格です。やはり、人間として到るためには、人に真心をつくす。世間からいう

ならばうるさがられるほど思いやるということが大切です。老婆心は人に対して

だけではありません。学問の場合でも、まあ、これくらいにしておこうというの

が一番いけないので、これでも足りない。もう少しこうしてみたら、どうだろう

という、つまり老婆心がなければ進歩しません」


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 この話は好きですね。何度も書いています。”えじょう”と”ぎかい”

 そして、老婆心ね。大事なことですよね。



短歌


 すぎていくときの早さに慌てますそうかといってすることもなし


俳句


 ボンヤリと秋の長夜や過去に行く


川柳


 なんだろとすべては自分納得し



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Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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