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おばあちゃんのひとりごと

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「ぼくは おかあさんがいちばんすきだ」これぼくの描いた絵だよ。おかあさんの顔だよ。

  うわさする人の心に鬼は棲む

            フェアリーグランマ



  さあ、昨日は一日中出ていたら、もうクタクタでした。すっかり身体は

怠け者状態なのかもです。ふふふ.老い老い老いといわないでね。

 こんなことでこれほど疲れては駄目だわ・・・しょんぼり。がっかり。

 色紙を皆さんに二枚ずつ描いてね。昨日あげたのですが~~お世辞かも?

だけど喜んでくださったのでね。嬉しくなりました。単純な私でしょう。


 そうそう、昨日、友人が会いたいと待っててくれたので、菩提寺のあとで、

その友人と喫茶店でいろいろと話していたのです。五時過ぎまで・・・・・

 深刻に話されるのでね。あんまり悩んでおられたので、また、私なりに考

えたことを今朝、電話して話しました。みんな いろいろとあるものです。


 今朝はモーニング珈琲だけ行き、はつらつ奥様と二人、楽しくおしゃべりで

きました。この間の休日に娘さんと二人で・・・

「大井川鉄道に行ったのよ・・・・・」って嬉しそうでした。


 久しぶりに姉にも電話したら・・・嬉しそうな声で・・・・

「あのまさよちゃん(義兄の妹夫婦〉夫婦が京都へ連れて行ってくれたのよ」

 姉夫婦は、その妹夫婦がときどき車であちこちに連れて行ってくれるので、

姉はとても喜んでいた。ありがたいな。ありがたいことです。


      *


  ☆ まっ赤だな・・・・ ☆

          フェアリーグランマ


   秋の夕陽は

   なんて美しい

   誰と見るのではないけれども


   西空を見ていると

   いつもちがって美しい

   ひとりで見上げているんです

   

   ひとりで心のなかで

   きれいだぁと

   さけんでいるんです


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 この考え方があなたの人生を決める

            松原泰道 著


 <白洲正子さんは、「その佛とは、仏眼仏母であった、と私は思っています」>


◇この感動する心から、私が得たもの

 

 白洲正子さんのこの一文を読んだとき、はからずも胸に浮んだのが、左の長崎源之助

さんの作詩「おかあさんの顔」と、その作品にまつわる遠い思い出話です。


  これ、

  ぼくのかいた絵だよ。

  おかあさんの顔だよ。


  ずいぶん目が大きいなぁって、

  うん、この目でいつも、

  ぼくのすること、

  じっと見ていてくれるんだ。

  耳も大きすぎるって、

  そうかなあ。

  この耳、ぼくのいうこと、

  なんでも聞いてくれるんだよ。

  この鼻、ぼくににてるだろう。

  それから口も

  ぼく、よく人にいわれるんだよ、

  あなたはおかあさんそっくりねって。

  ぼく、心もにるといいんだがなあって

  いつも思っているんだ。


  ぼくは、おかあさんがいちばんすきだ。

  この絵、いっしょうけんめいかいたんだよ。


 この詩を書いた長崎源之助さんは、横浜生まれの児童文学作家で、名作「ヒョコタン

の山羊」で知られています。前掲の「おかあさんの顔」は、同名の長崎さんの、著書

「おかあさんの顔」の冒頭に収録されていて、<まえがきにかえて>と副書がされて

あります。私がこの詩をはじめて知ったのは、当時、作家の山本有三氏が中心になっ

ていた雑誌「銀河」でありました。

 昭和22年といえば、終戦二年目で、日本は衣食住にわたって、あわれな貧乏のどん

底にありました。物資不足の時代ですから雑誌も薄く、用紙も仙花紙というすき返し

の粗末な用紙で、裏面の活字がすけて見えたものです。そうした貧窮時代にこのよう

な名作が出て、多くの人に愛読されました。私もくり返し読んで、いつとはなし暗誦

できるようになりました。


 たまたま、私の母校の御田小学校の学芸会で、当時気鋭の青年教諭、石田美佐雄先

生が、三年生の児童A君に、長崎源之助さんの「おかあさん顔」を朗読させました。

A君の父は、中国で戦死、母に連れられて日本に引き揚げる船中で、母が病死した不

幸な戦争孤児です。

 学芸会の当日、舞台の正面には大きな模造紙にA君と石田先生とが二人して描きあ

げた、A君の亡きお母さんの似顔が飾られました。A君は、長い竿でお母さんの絵を

さして、「これ、ぼくのかいた絵だよ。おかあさんの顔だよ・・・・」と、詩を大声

で朗読します。

 はじめは元気だったA君の声が、朗読が進むに連れ、次第に低くふるえ声になって

いきます。

 ---省略ーーーー

 終戦後の荒さんだ人の心に、母を憶う心がそれぞれよみがえったのです。模造紙に

描かれたA君のおかあさんの顔こそ、明恵の持仏の仏眼尊に匹敵する、と私は信じま

す。

 さらに、この詩を仏教思想で解すると、五眼がさらに明確に印象ずけられます。まず

「おかあさんの顔」を「仏さまの顔」と読み替えて見ましょう。すると、


  ずいぶん目が大きいなぁって/うん この目でいつも/ぼくのすること、/じっと

  見ていてくれるんだ。


 に『天の眼』を知ります。原詩によれば、子どもの描いた母の目が大きすぎる、との

批評があったのでしょう。しかし子にとっては「ぼくのすることをじっと、いつも見て

いてくれる母の愛」を表わすには、大きすぎる程の目を描くほか、表現のしようがなか

ったと解すべきでしょう。

 日本の仏像のおん目は、半眼です。親鸞は「半ば内を見、半ば外を見たもう仏のおん

眼」と説きます。「内を見る」は、自分の心の内省、「外を見る」は、ありのままに事

象を見きわめるの意でしょう。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 心にしみる「おかあさんの顔」の詩ですよね。

 今の時代には、そわないのかもですが~~様々な事件を想うと。ね。


短歌


 夕焼けが美しすぎてビルの谷間沈むしずむぞベランダで眺む


俳句


 落ち葉ひろう赤や黄色の美しい葉


川柳


 その愚痴は逆に思うと幸の種



  

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Comment

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いつの世も親の愛と、親を思う子の心は変わらないはずなのに、
最近は、なんでしょうね。
親も子も、物的環境が良いと、何かが欠落してゆくのかもしれませんね。勿論幸せな親子はたくさんいますけど、そうでない親子もね。
  • posted by お千
  • URL
  • 2018.11/09 09:35分
  • [Edit]

うん うん そう思うね。立派に育てようと思う人やらね~たぶん~愛がない人とかね。

お千さま
おはようございます。
なんでしょうかねぇ~すごい立派な子に育てようとか?
それとも、大事にしすぎちゃうとかね?
わからないけれども、いろんなことがありますね。
わたし、忙しくて、子どもを見ないで、大家族の中で・・・・
なんにもできずに、こどもらはひとりで育ったな。と思うのですよ。
でも、この「詩」じーんとしますよね。ありがとうございます。

  • posted by フェアリーグランマ
  • URL
  • 2018.11/10 06:55分
  • [Edit]

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Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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