おばあちゃんのひとりごと

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欲なければ一切足り・・・良寛さんの詩

「美しい老年のために」中野孝次著より

 家はがらんどうが理想

 幸田文が「台所育ち」という随筆の中で、自分の所有物がどれだけであるか、書き出
してみたことがありますか、と書いていた。鍋釜皿小鉢から靴スリッパまで、持っている
物全部書き出してごらんなさい。こんなに沢山の物を持っていたかと驚くでしょう、という
のである。
 わたしはバカらしくて、考えるだけで止してしまったが、たしかに現代人はおそろしい
ほど多くの物を持って裏している。とくにわれわれの世代は、「物を大切に」「もったいない」
と教え込まれているから、包装j紙だの紐だのボール箱だのまで大事に取っておくので、家
の中はとかくガラクタで一杯になりがちだ。
 幸田文はそう言った上で、老いて一人暮らしをするようになって以来、気をつけてなるべく
物を持たぬよう、捨てるようにしてきたとして、こんな感想をのべている。

 私は一人住みをするようになってからは、少ないのが有り難いと思っています。(略)
 老いの一人暮らしでは、不自由ない程度にしか持たぬのが、気持ちが軽やかで毎日の家
事が楽です。

 彼女の家は、知らぬ人が見たら驚くほどがらんどうで、簡素を通り越して殺風景だと笑われ
るくらいだという。

        ただそのがらん洞を、汚くないように住んできました。

 わたしはこの文章から、余計な装飾品の何一つない、清々しいほどのさっぱりした、掃除の
ゆきとどいた家のさまが見えるように思った。昔の日本の家は大抵がそうだったのである。
 そしてそういう「がらん洞」だからこそ、かえって生活は充実するだという気がする。
 家中に物ばかり詰まっていては、暮らしが物にふさがれてしまう。

 詩人の加島祥造が訳した「老子」の中にこんな一節がある。

             家の部屋というものは、当たり前のことだが
             なかに空間があるから有用なのであって
             空間がぎっしりつまっていては、使いものにならない
             この空間、この空虚、
             これが部屋の有用性なのだ

 幸田文の部屋は、まさにそんな姿だったにちがいない。物がないとき人は精神そのもの
と対峙する。空間に何もないから、生きているということそのものがあらわになる。
 老年の住居としてふさわしいのは、そういう精神的空間だ。とわたしも思う。良寛はそれを
さらに徹底させた草庵暮らしだったが、物がないほど精神は自由になることを、良寛はその
一生を通じて証明して見せた。

     ---欲なければ一切足り。求むる有れば万事窮す。ーー

 と詩にもうたっている。
 わたしもそういう境界を理想とし、なるべく物を持つまいとしているのだが、凡夫の浅ま
しさで、とかく物は増えてばかりいる。そしてときどき大決心をして片端から捨てるのだが、
なかなか無一物の域に達しない。
  --省略ーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ほんとうだわ。「もったいない」だの、「物を大切に」だった。小さい頃のこと。
 母は何でも大事にとってあったわ。
 新学期、新しい教科書が頂けると、包装紙が取り合いであった、教科書にカバーをかける
のだった。綺麗な柄の包装紙を姉妹で取り合い、丁寧に教科書にかばーしたものである。
 それも今では思い出だわ。教科書をいかに大切にしていたかが分かるよね。ふっふ ふ。
 むかし むかしのことだわ。
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Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

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