おばあちゃんのひとりごと

Entries

金丸氏の略式起訴の場合・・・

「好き嫌いで決めろ」元東京地検特捜部長
                河上和雄著より
……守らなくてはならないフィクション……

 守るべき社会として私が考えているのは現在の日本の社会であることは先に述べまし
た。それは法が支配する社会です。法治国家でなければ自由もあり得ません。
 自由というものを誤解している人を時どき見かけますが、自由とはあくまで法の下での
自由なのです。法に守られ法に規制されたうえで、初めて自由や権利は語られるべきも
のです。法が支配する社会を守ることは、どこまでもやっていかなくてはならない正義な
のです。
 またこの正義というのも、私が意味するのは法治の下での正義です。必ずしも倫理的
な意味ではありません。さまざまな国がそれぞれの法に則った正義を持っているわけで
す。たとえばイラクのフセイン政権の「正義」を考えて見ればおわかりでしょう。
 そして法の執行は相手が誰であっても杓子定規に同じ基準で行わなくてはんりません。
それでこそ法の執行の権威は守られ、人々が法に寄せる信頼も守られます。

 以前、金丸氏が略式起訴された際、直接の取り調べもせず略式起訴をするにあたって
の同意書も検事が取らずに、二0万円の罰金をとったことがありました。結果からいえば
最高刑である二0万円の罰金をとったのだから法は平等に執行されたんだ。という人も
いるかもしれません。しかし二0万円のとるまでの手順が特別扱いの連続です。これでは
法の下の平等だとはいえません。実際、巷間からは検察に対する批判が起きました。
 金丸氏の例でもわかるように、法の執行がだれにも平等に行われるというのははっきり
言えばフィクションです。しかしだからといってどうでもいいんだと思えばそれは崩れていく
ものです。法の下では万人が平等だといっても、現実にはそうでないことがままある。
 しかし本当にそれがおおぴっらに行われることになると、法の下の平等という言葉自体
が崩れていってしまうでしょう。フィクションだからこそ大切に守ろうとしなければ成り立
たないんです。
 巨悪つまり強いゆえに法の下の平等から目こぼしされている人間は、法の下の平等と
いう一線まで引き戻さなくてはならない。巨悪であろうと小悪であろうと、一般の人と同じ
ように扱うべきなんです。
 その意味でも杓子定規に執行することが大事なんです。フィクションはそのほうが生き
のびやすいのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 日本の司法を信頼しているのですが、いろいろとあるものですね。
 まったく、同感な思いです。
スポンサーサイト

Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

左サイドMenu

プロフィール

フェアリーグランマ

Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

ランキング

ブログ村のランキングに参加しています。応援してくれたら元気が出ます!
にほんブログ村 ポエムブログ 自作詩・自作ポエムへ にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村 にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村

flag counter

Flag Counter

最新記事

最新トラックバック

音楽