おばあちゃんのひとりごと

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ジョン・万次郎さんという素晴らしき日本の偉人<1>

「到知」2009・1
 子孫が語る日本の偉人
      ジョン・万次郎
        太平洋を漂流し救助された米国で学んだ知識をもとに
        鎖国の日本政府を無血開国に導いた影の功労者。
        現在も続く日本友好の最初の懸け橋となった、
        ジョン・万次郎の曾孫・中濱武彦氏に語っていただいた。
ーー省略ーー
 ーーー万次郎は1827年、土佐の漁師の家に生まれた。しかし8歳のとき父親が
病死し、一家は極貧の生活をを強いられます。腕白坊主だった万次郎は近所の人か
らつまみ者とされ、母親は十四歳になった万次郎を、悪評の届かない遠方へと漁師
見習いに出します。しかし、初漁の日に万次郎の乗った船は漂流し、仲間たち四人
と百五十日に近くに及ぶ漂流生活を送ることになったのです。
 
 万次郎が幸運だったのは、無人島に漂着したところを、米国の捕鯨船に救出された
ことと、その船長のホイットフイ―ルド氏が大変な人格者だったことです。勤勉で努力
を惜しまず、快活で、創意工夫の気概にあふれていた万次郎は船員たちばかりでなく
現地のアメリカ人からも仲間として受け入れられました。

 アメリカでの万次郎の生活は、陸地が四年間で、六年間は船の中です。米国捕鯨
期間(1840~60年)出漁した捕鯨船で、出港時のクルーがそろって帰港できたのは
5割程度で、半数は事故や病気で仲間を失ってしまう。この期間に百名以上の船長が
発狂したり、行方不明になっています。まさにメルビィルの描いた「白鯨」の世界、酷い
日照りや激しい防風雨との闘いに、巨大な鯨との格闘する日々を、三、四年間続ける
という過酷な仕事だったのです。
 
 船員たちはいわば運命共同体であり、万次郎はそこでフレンドシップの精神を学んだ
のだと思います。また二十一歳になった時、船長を選ぶ投票が船員全員で行われ、万
次郎は八歳年上の一等航海士と同数の最多票数を得ました。

  貧しい家の生まれで、背が小さく、航海歴もわずかしかない自分を、皆が船長に選んで
くれた、(結果的には年上に船長を譲り、副船長に就任)万次郎はその夜、嬉しくて眠りに
つけなかったといいます。土佐という、とりわけ身分制度の厳しい封建社会で育った万次郎
は、自由で平等な社会に対して、強い憧れの気持ちを抱くようになりました。
――――――ー続きー次回ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 万次郎さんは、初漁で漂流となり、一見 運が悪いように思えますよね。でも、運命とは、
ある本を読むと、「命を運ぶ」と、いつて自分で、つくる事が大事とか。この、万次郎さんを
読んでいますと、その通りだと実感します。
 「脳」であった。人間には「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」の本能がぴったり合っ
てるね。そのままをやっておられる。
 どんな場合でも、自分を信じて、素直な心で、理屈などいわずに、いいと思うことを努力する
ことが、いいと思う。嫌なことをきっと、率先しやる。そういうことが仲間と上手くいく秘訣だろうし、
いいことをしてればね。また色んな事も知りたい意欲が知識を育て、生きるという気持ちは、周
りの人の命も大事にするものね。万次郎さんは脳の本能をそのままだったなあー。
 だから、仲間のから、若くても選ばれrたんだろうなあ―。努力・努力・信頼でき・からよね。。
 
 今日は、我が家の寺にお参りに行ってきました。遠いので疲れました。我が家のご先祖様の
おらられます寺です。いつもお守りくださっていると感じていますので有り難いと、お礼です。
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Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

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