おばあちゃんのひとりごと

Entries

福沢諭吉の偉大なる母「できる人は出来ない人に……」

2013・10 「到知」
 偉人を育てた母の言葉    大坪信之
ーーー続きーーー

 学問の世界で大成した偉人の母を紹介します。それは福沢諭吉です。
 中津藩(現大分県)の下級武士の家に、5人きょうだの5番目に生まれた
福沢諭吉、父は諭吉が2歳の時になくなります。主のいない福沢家の生活
は苦しく、母はいつも働いていました。そして子どもたちに語り続けたのは、
 「お父さんほど勉強をした人は中津藩でもめったにいませんよ」
 「お父さんは曲がったことが嫌いな方でした」
 といって在りし日の父の姿でした。当然諭吉も父に対し尊敬の念を抱くよう
になります。
 また、福沢家の近所にとても貧しい家の娘が住んでいました。着物はボロ
ボロ、頭にはシラミがたかり、臭いもひどい、しかし母はその娘訪ねてくると、
嫌な顔一つせずシラミを取ってやります。その時、取ったシラミを潰すのが諭吉
の役目でしたが、これがいやでたまりませんでした。ある日、諭吉はとうとう
 「気分が悪くなりました」
 と言って、なげだしてしまいます。
 「シラミがいなくなれば気持ちがいいでしょう。しかし、それは自分でできないの
でdす。できる人はできない人のためにしてやる、それは当たり前のことですよ」
母はそう言って、人としてのあるべき道を優しく諭すのでした。
 ハッとした諭吉は、「もうなんともなくなりました」と言って、再びシラミをとったと
いいます。
 のちに大阪適塾で学問に打ちこんでいた諭吉に、兄の病死の報せが届いたの
は、22歳の時でした。
 家督を継ぐため中津に戻され、下級武士として望まない仕事をする日々……。
 ある日、母に「もう一度大阪に出て、学問で身を立てたい」と打ち明けると、親戚
一同大反対する中、家財道具一切を売り払い、費用を工面したといいます。
 諭吉が適塾を戻り、、「一体いつ寝てるのだろう」と皆に驚かれるほど勉学にのめ
り込んだのは、そんな母に応えたいという気持ちからなのでした。
 慶応義塾をつくり、大ベストセラー「学問のすすめ」を著すなど、明治の文明開化を
リードし、近代日本の産業、文化、教育の礎を築いた福沢諭吉も、やはり偉大な母
によって育てられたのでした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 あーあ 偉大なる母はなんて素晴らしいのだろう。
 わたしは、なんと愚かなる母であったかと思い知らされますが、之を読んで下さる子
を育てておられている方のに、少しでもよかった!と、なればいいなあー?
 わたしはいつも思うのだけれど、家庭にはお互いに尊敬と言うか、敬慕というか、家
族がおたがいに大切に思い、日々を過ごすことが、一番大事なことかと思うのです。

  短歌
  秋晴れや心楽しく奮いたて公園行きて老いを見つめる

 間違えて「追記」に詩を書きました、どうぞ 読んで下さい。アホでドジなんです。

      そのまんまでいい

  毎日生きて行くなかで
  なんていうか 
  ほんのちょっとの 仕種 ひとことで
  とっても傷つくことあるでしょ
  そうして どっと 辛くなってね
  なんていうか
  ごうっと落ち込んでしまうことあるよね

  そんなときはね
  空を見上げたらいい 青い青い宇宙
  小さいことにこだわらない
  大きいなおおきな何かが
  見守ってくれて 大丈夫だよ
  なんていうか
  そのまんまでいいんだよ

  そういってくれている
  ちゃんと耳を澄まして聴いて
  ごらんなさい
  あなたはそのまんまでいいよ
  あなたはそのまんまがいいのよ
  なんていうか
  青い空から 聞こえてくるから
スポンサーサイト

左サイドMenu

プロフィール

フェアリーグランマ

Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

ランキング

ブログ村のランキングに参加しています。応援してくれたら元気が出ます!
にほんブログ村 ポエムブログ 自作詩・自作ポエムへ にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村 にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村

flag counter

Flag Counter

最新記事

最新トラックバック

音楽