おばあちゃんのひとりごと

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石川や 浜の真砂は尽くるとも 世に盗人の 種子は・・・・

 若いころに感じたのですが、私の友人の話すことを聞いてい
て、ふっと思った疑問。
 だって、その友人の姑が入院しておられその病院でのご自
分の行動話されるのですが……。

 「いつも見舞いにゆくと、体を拭いたり一生懸命看病するから、
入院されてる方々が、そういう私を見ておられ、よくできたお嫁
さんだね。と言ってみんなが褒めてくださるのよ」……。って!

 その時は<、なんて素敵なお嫁さん>と思ったものでした。
 わたしは駄目だなぁ、まだまだ、未熟な嫁だわ。って!

 その当時 まだまだ、姑が怖くて、なんでもお伺いをしてやって
いたのです。でもいろいろとそのような話を聞いているうちに、思
ったのです。

         周りから褒められるための動き
         周りから注目されるためにとる行動
         その姑の気持ちになってみたら ?
         いま姑が何を望んでいるのかなぁ ?

 ふとそういうことにきずいたのです。みんな、みんな、いろいろ考え
て日々やっているんだけれども、みんな違っていいんだなって……。
 自信を失くした私の、自分を認める自分の為の解釈に元気を取り戻
した。私の若いころを思い出。 晴れた日曜のいい朝です。

       自分

    人に見られ評価される
    そういう行動よりも
 
    自分がのぞむことよりも
    なんていうか そのときどき みられるのではない

    見られるよりもやってもらう人になるかな
    悪く思われたっていいかなぁ

 うまくいえないわ。ここまで・・・・・・

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 「なぜ生きる」 高森顕徹 監修
             明橋 大二
             伊藤健太郎
 よもすがら 仏の道を求むれば
  わがこころにぞ たずね入りぬる

 二人の禅僧が諸国行脚中、小川にさしかかった。
 美しい娘が連日の雨で川が増水し、とび越えられずモジモジしている。

 「どれどれ、私が渡してあげよう」
 
 僧の一人が、無造作に抱いて渡してやった。
 途方にくれていた娘は、顔を赤らめ礼を言って立ち去った。同伴の僧は
それを見て、かりにも女を抱くとはけしからんとでも思ったのか、無言の行
に入ってしまった。戒律のやかましい禅宗では、女性に触れてはならない
とされているからだろう。
 
 日が暮れて、女を渡した僧が、
 「どこかで泊ることにしようか」
 と声をかけると、
 「生臭坊主との同宿はごめんこうむる」
 連れの僧はそっぽを向いた。
 「なんだ、まだあの女を抱いていたのか」
 件の僧はカラカラと笑った。連れの僧は、いつまでも抱いていた心の生臭
さを突かれて、返す言葉がなかったという。

       問題はその心にあるのだ。
 
 心こそ、もっとも重大視されねばならないはずなのに、どんな悪い考えをい
だいていても、それだけでは法律や社会問題になったりはしない。 所詮は、
体や口にあらわれる火の粉しか知ることはできないし、取り締まれないのだ
とあきらめ、放置されているようである。これでは、

    「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種子は尽くまじ」

 の石川五右衛門の辞世を実証すえうだけとなろう。

 「殺るよりも 劣らぬものは 思う罪」

 といわれるように、口や体で造る悪よりも、悪いことを思う罪は、はるかに重いと
仏教は指摘する。悪い考えは、悪い体や口の行為の根源だからである。

 「よもすがら 仏の道を求むれば わがこころにぞ たずね入りぬる」

 親鸞聖人が高僧と仰ぐ、源信僧都の述懐である。

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    短歌

    わがこころまだまだわからず老いてゆく秋の落ち葉を踏みしめ探す


      
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フェアリーグランマ

Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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