おばあちゃんのひとりごと

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「・・魂と、炯敬たる眼光を持った、地球の裏側・・」  ホイットマンの詩

 寒いですね。雪がちらつき冷たいのなんの。友人の誘いで出掛けました。
今まで、手袋も靴下もやらないのですが、今日は靴下いいですが、手の冷
たいこと。うーん 手袋がほしい……。冷え切っちゃったわ。
 コーヒーを飲みながら、友との会話。

 「みんな 家でなにをしているおられるのかねえ…つまらないわ。」 と友人。
 「……」
 「どうやって過ごしているんだろうね」 これも友人。
 「みんな何にも思わないで、テレビ見たりしているだと思うわ」 とわたし。
 いつも友は私に言うの。
 「あなたと私だけが暇ね」って! でも、わたしは、そうだけど、それが倖せ。
 ありがたい。ありがたい。
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 一期一詩   瀬上敏雄 著より

 黎明期の日本人

   ブロードウェーの行進      ホイットマン(長沼重隆 訳)

  西方の海を越えて、こちらへ、日本から渡来した、
  謙譲にして、色浅黒く、
  腰に両刀を手挟んだ使節たちは、
  頭あらわに、落ち着き払って
  無蓋の四輪車のなかに反りかえり、
  今日この日、マンハッタンの大路を乗りゆく。

 これはアメリカの国民的詩人のホイットマンの、詩集 「草の葉」の中にあ
る、長編の詩の冒頭のところである。
 日米修好通商条約批准書交換のための使節団、外国奉行新見正興、目
付小栗忠順ら八十余名が、アメリカに向かったのは、1860年1月18日で
あった。
 米艦ポ―ハタン号には正使が乗艦し、江戸幕府がオランダで建造させた帆
装蒸気船「咸臨丸」は護衛艦として同行した。

  同艦には艦長として勝海舟、そして軍艦奉行木村喜毅の従者として、当時
27歳の福沢諭吉が乗りこんでいた。その航海は、晴天の日は僅か5、6日で、
悪天候に苦しめられ、小さな軍艦咸臨丸は、太平洋の荒波に翻弄された。

 出発から約一カ月後にサンフランシスコに入港した。陸路、汽車でワシントン、
二ユーヨークへ、。
 
 この東洋の小国、日本からやってきた使節団を、文明国アメリカの人たちは
物珍しさと好奇心からであろうか。、その歓迎ぶりはブロードウエーの沿道を
埋めつくした。その群衆の中に詩人ホイットマンがいた。ホイットマンは、この
対極の東洋からやってきた日本の侍たちに、魂をゆさぶられるほどの感動を
覚えた。

 「西の海を越えて、いま日本からやってきた、礼儀正しく、顔は日にやけ、腰
に二本の刀をたずさえている使節たちは、帽子をかぶらず、泰然として何者に
も動ずる様子もなく、蔽いのないバシャにゆったりと身をゆだね、今日このマン
ハッタンのメインストリートを馬車に任せて進んでゆく」

 この冒頭の詩句から、ホイットマンの感嘆の声が聞こえてくる。そして、

 「考え深そうな、静かな思念のうちに情熱を秘め、香り高く、ゆったりと流れる
ような衣服をまとい、陽にやけた相貌からは、白熱した魂と、炯炯たる眼光とを
持った、地球の裏側から私たちのところへ、私たちの都へやってきた人たち」

 当時のアメリカ人にとって、初めて見る日本人は、未開国の蛮人のように見え
たであろう。しかし、ホイットマンは、この上のない畏敬と親愛の感動をもって、こ
の礼儀正しい日本人を見た。それは精神の高さと端正なるふるまい、気品に満ち
た姿、そこには武士道が生きていたからである。

 今日の日本人は他の国々の人々にどのように映ずるであろうか。ブロードウエー
を堂々と更新した、黎明期の日本人の品位と誇りを取り戻さねばならない。

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 短歌

  昔むかし素晴らしき人ら多くありて誇りに思う日本人として

  
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フェアリーグランマ

Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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