おばあちゃんのひとりごと

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「たべものさまには仏がござる。拝んで食べなされ」

 今日も寒かったですね。私は菩提寺の報恩講のお参りでした。
午前中は音楽法要でした。とてもいいものでウットリと聞きました。

 午後の法要の始まりで、鐘楼のお鐘を老人が打っておられ、い
い音に聴き惚れました。 息子夫婦が車で、迎えに来てくれるのを
傍で待っていましたので、撞き終われたその方に、頭を下げて……。

 「 いい音色のお鐘の音でした。お鐘は撞くひとの心が、出ると
いうことを聞いたことがあります。とてもいいお鐘の音色でした。あり
がとうございました 」と、声をかけさせていただきました。

 ちょうど 迎えに来てくれたので、かえって来ました。乗り換えたり
するので、家に着いたら早や 3時半過ぎでした。いい一日でした。

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 お寺の寺報より

 「献杯」 と 「いただきます」

 お斎(食事)になりますと 「献杯」 という行為をよく見かけます。
献杯について「広辞苑」をもますと、「(敬意を表して)さかずきを人
にさすこと」とあります。
 そうしますと、仏事で行われる献杯は、さかずきを亡き人にさす
という意味になるのでしょうか。

 ところうが浄土真宗では、献杯という行為はいたしません。食べ
物や飲み物を頂くときには 「いただきます」 と、合掌してから食
します。丁寧には 「食前の言葉」 「食後の言葉」を唱和します。

       食前の言葉
      み光のもと
      われ今さいわいに
      この浄き食をうく
      いただきます

       食後の言葉
      われいま
      この浄き食をおわりて
      心ゆたかに力身にみつ
      ごちそうさま

 童話作家の宇野正一さんは、幼少期に父母と別れ、祖父に育てられ
ました。祖父の弥三郎さんは、「たべものさまには仏がござる。おがん
で食べなされ」 とよく言われていたそうです。正一さんは、あるとき学
校の先生に尋ねます。
 「ご飯の中には本当に仏さまがいるのか」 と。
 先生は答えます。
 「ご飯粒には、たんぱく質と含水炭素と、脂肪と水分、その他のもの
は入っとやせんがや」。
 
 科学的に分析すれば、学校の先生のおっしゃるとおりでしょう。しかし、
それでは合理的な考え方になってしまい、自然の恵みへの感謝も生ま
れません。

 私たちが口にする食べ物は、肉でも魚でも野菜でも果物でも、すべて
命のあったものばかりです。それらの命をいただいて、自らの命を保持
しています。命あるものをいただいているという慚愧と、生かされている
という感謝の心をいただかざるを得ません。
 そういう命をいただいているが故に、仏さまの心をもまたいただくことが
できるのです。つまり、食べ物は仏さまのいのちをいただくための大きな
御縁となって働いているわけです。その働きを弥三郎さんは拝んでおられ
たのでしょう。

 このように考えてきましと、法事でのお斎は杯を献ずるという正確のも

のではなく、食べ物や飲み物ををとおして仏さまのいのちをいただくという
私への問い返しでもあるのです。

 日頃から拝んで食したいものです。   (暮らしにじーんより)

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 短歌

  あたりまえの平穏な日日それが幸老いて気がつくひとりの幸せ

  夢の中吾が名呼ぶ声に目の覚めて暫し考え亡き夫かとぞ思う
 
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フェアリーグランマ

Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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