おばあちゃんのひとりごと

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「わたしは墓のなかにはいない」  坂村真民先生

 生まれ死ぬ。 死ぬ生まれる。 かくて人生は新しく、常に
 新鮮である。 貴きものが死ねば、又貴きものが生まれる。
                           武者小路実篤

 うっふふ 私が死んだなら、この貴きになれるのだろうか? ふと?
 違うな。 すべて命は貴いということを言っておられるのでしょうね。、
人も、また 自然も すべて みな、貴きものなんだな。 ということだ
だってどんな命も輝いているのですものね。 すべてとても大切なもの
 なんていうか、この世の中の すべて貴いものだわ。

火山の爆発におそれつつも、自然の偉大さに畏れ、貴きものよ。
 
 老いていくなかで、街の手相占いでは、いつも わたし。
 「いつまで 生きるの・・・・強い生命線だね」 
 といわれるほど,生命線がしっかりしているとのこと。 頑張って この
頂いてる命を大事にし、心身ともに、健康でしっかり老いの日々を、楽しん
でいきたいと心掛けるのです。 きっと逝きし人が守ってくれてるな。
 だって 今 生きていられることは、とても 幸せなことなんですもの。

 子どもら夫婦の健康と幸せを。
 孫らの健やかな育ちゆく嬉しさ、なによりの喜び。
 それが 幸せ。ありがたい。ありがたい。
 すべての人らや、この地球が、幸せであることを手を合わせ祈るのです。

 「子どもらへ 孫らへ伝えたきこと}
   返事は出来なけれどね。 傍にいるからね。

     いろんな死にあい
     はじめは死とは とても 怖くって
     
     悲しくって
     哀しんだ
     
     さびしくて つらくて 苦しかった
     どうしようもなく せつなくて 涙した

     多くの たくさんの 死に出あい
     深く 深く 考え 考えた
     
     死とは 死ではなく 無限にある愛
     愛のある死は すべて無限の命

     死んでも この世の すべての中にいきている
     死んでも みんなの 心の中に生きている

     死んだって ずぅと ずっと 生きている
     精いっぱいに この生を 生きることだよ

     逝きし 貴きものらはつたえる
     逝きて 貴きものらは語る

     そう 思う 
     なんとなく 思える

     やさしく なでて ささやいて くれる
     そこにある愛 死は生なんだと思う

     だから 私が 若し 死んだって そこにいつもいるよ
     必ず いつも 傍にいるよ 覚えていてね 忘れないで

     返事は出来ないけれど
     いつも 応援しているよ

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到知    2015・4
禅語に学ぶ
 人面は知らず何れの処にか去る、
 桃花旧きに依って春風に笑む    鎌倉円覚寺管長
                            横田南嶺

 ---省略ーーー
 詩の意味は、「去年の今日、この門の中であなたと出逢った。 折りしも咲い
ていた桃の花とあなたと共に相映じて美しかった。 しかしその人はどこに去っ
ていったのか知るよしもない。 ただ桃の花だけが以前と同じようにこの春風に
咲いている」 という。

 はたしてこの妖艶な詩と、禅の悟境とどう関わるのであろうか。 天地のかけ
がえのない宝がどうしてこの詩で表現されるのであろうか。
 詩人の坂村真民先生は 「わたしは墓のなかにはいない」 と詠われた。

    わたしは墓のなかにはいない
       
       妻よ 三人の子よ 
       法要もいらぬ
       墓まいりもいらぬ
       わたしは墓の下にはいないんだ
       虫が鳴いていたら
       それがわたしかも知れぬ・・・・・・・
       鳥が呼んでいたら
       それがわたしかも知れぬ・・・・・・・
       花が咲いていてら
       それがわたしかも知れぬ

 と。
 わたしはご縁あって、高校生のころから大学を卒業して修業に出掛ける
までずっと真民先生から個人詩誌 「詩国」 を送ってもらっていた。 幾た
びかお手紙もいただいていたが、生前の真民先生にお目にかかる事はでき
なかった。
 せめての恩返しに、修業を終えてから毎月寺の掲示板に真民先生の詩を
書いて、法話の折にはよく誌を引用させてもらっていた。 そんなところから
三女の西澤真美子さんとご縁をいただいて、坂村真民記念館には何度も
伺うようになった。 
 はじめて伺った時に道後の宝厳寺にある先生のお墓にご案内いただいた。
お墓は、先生の敬愛してやまない一遍上人のお寺の奥の小高い丘の上に
あった。 お参りにあがると、ちょうど 全山で鳥たちが鳴き、何とも言えない
涼しい風が吹いてきて、その風と四国の明るい光の中に生きた真民先生に
お目にかかることができたと思った。

 それまで生前の先生にお目にかかれなかった事が悔いのひとつであった
が、吹きわたる風とともにその後悔もすべて消え失せた。 先生はここに生
きておられると確信した。
 越後の良寛さんは 「形見とて何か残さむ春は花夏ほととぎす秋はもみじ
葉」 と詠われた。 
 春に咲く花、夏に鳴くホトトギス、そして秋の紅葉を見れば、そこに良寛さん
は生きておられる。
 
 別れは悲しいものの、人は必ず死を迎える。 別れなければならない。
 しかし、大自然は変わることがない。 また 同じように花が咲き、鳥は鳴く。
その咲く花に、鳴く鳥に、永遠に滅びることのない、大いなる命の輝きを感じ
取ることが出来る。 この命の輝きに目覚めることこそ、この世を生きてゆくま
ことの宝にほかならない。霊雲禅師が桃の花を見て気ずかれたのも、そのこ
とである。

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   自然はやさしい案内者である。賢明で、公正で、
   しかもやさしい。
                          モンテーニュ  

 短歌

   わぁおいいな友に会えたわコーヒータイム久しぶり話しいっぱいできた
   突然に友の電話は「今夜行くね」 にぎやかな夜になりそう嬉し

 俳句

   なんとなく梅雨入りなるか予報見る
   日傘さしクルリとまわし遊ぶわれ

 川柳

    野良猫が堂々ゆくをみなが見る
    神仏よ守りたまえこの地球を  
 
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Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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