おばあちゃんのひとりごと

Entries

開戦前夜、自宅でワアワアと大声を上げて慟哭したという実話です・・・東条英機氏

「世の中は根気の前に頭を下げることを知っっています。 火花の前に
は一瞬の記憶しか与えてくれません。 だから、牛のよだれののように
もっと根気よくおやりなさい」
           {夏目漱石が弟子の芥川龍之介に言った言葉だそうです}

 なんか、こうして本の中にある事を読みますとね。 考えさせられます。
 難しいことだわ。 真実はどこにあるのかなぁ。 思うのです。
  一人の生活ですので、ときどき幼い記憶がふっと、浮かぶのです。
 幼いころは、田舎の旧い大きな家で、住んでいました記憶。
大家族のなか、台所でまだ帰らぬ母を待つおさなごの記憶。

     おかあちゃんがいないと・・・・   
     
     おかあちゃんが帰ってこない夕方
     さみしくて泣きたくなり心細いのだ
     なぜなんだろう なんでもないのに泣ける」
    
     泣いていた 薄暗くなると泣けてきたものだ
     えーん うえーん 涙がぽろり ぽろり
     「おかあちゃん。おかあちゃん」 って

     そうすると おばあさんが
     「泣くと人さらいが来て、泣く子を連れていっちゃうよ」
     「泣いて外に出された子が、手だけ残っていたんだよ」 
     と、まことしやかに、おどしていうのだ 
     聞いてて、怖くって おそろしかったが
     
     また 涙がポロリ ポロリ
     人さらいはね  「その子を、サーカスにうられちゃうだよ・・・・」
     「もう 誰にも会えなくなって、家に帰れないよ・・・・こわいだよ」
     泣くたびに言うおばあさんの話は
     ふるえるほどに こわかった
    
     おばあさんの膝に抱かれていても怖かったものだ
     着物をいっぱい着てた すごい お年寄りであった
     「泣くな 泣くな」 と頭を撫でてくれてた
     ごっついごわごわの手で 手をさすり
     なんか 怖かったが わたしのおばあさんなんだ
    
     脅されては 泣きやみ
     それでも また 泣く 
     やさしいおばあさんだったんだろうに  
     おばあさんよりも おかあちゃんが恋しくて 
     ちいさい 小さい 小さい記憶の中のワンシーン
 
     おばあさんの気持なんてちっとも 思いもしなかった頃の記憶
     おばあさん ありがとう いまのわたしがあるわ
     「三つ子の魂百まで」 ね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2010・12
人間学を学ぶ月刊誌
「 到知 」    
 <亡国史観への挑戦>                   発言集団シュ―レ代表
 日本という国は誇りを持てない                     若狭和朋
 日本人が増えているといわれて
 久しい。そういう中、四十年に及び
 教育現場で一貫して歴史認識の
 大切さを訴えてきた人がいる。
 元教師の若狭和朋氏である。
 氏はどのように生徒たちに歴史を
 教え、生徒たちはどのように
 変わっていっただろうか。                                      


 --ー省略ーーー
  「いいか、日本は戦争を仕掛けたのではない」
 37年間、生徒たちに歴史を教えていると、時々、「えっ」 と思う教科書の
記述の変化に出会うことがあるものです。 「従軍慰安婦」 という言葉が登
場したときもそうでした。
 すでに 「おかしい」 と感じた私は、それを母に聞いてみました。母は、南
支那派遣軍広東第一陸軍病院の開設当時の総婦長。 つまり従軍看護婦
だったからです。 教科書を見た母は即座に、「そんなバカな話はない」 と
呆れるような口調で言いました。 従軍といえば身分は軍属であり、戦死し
たら靖国神社に祀られる。 従軍慰安婦などそんな言葉はなかったと言うの
です。 事実その通りでした。
 「従軍慰安婦」 だけではありません。 南京大虐殺も韓国の植民地化と
いうのも嘘 (これは内地化であり、現地民を搾取する植民地化ではない)、
日中戦争や日米開戦は、日本側から仕掛けたという話も、すべてデタラメ
です。 しかし、そういう誤った歴史教育が幅をきかせるのが教育界の実情
なのです。

 日米開戦を例にあげましょう。
 生徒の多くは、日本が先に戦争を仕掛けたと刷り込まれています。 私は
その間違いを一つひとつ正していきました。
 「奇襲というけれどもそれは違う。 カモン・ジャップ。 これがアメリカの意思
なんだ。 開戦当時、支那大陸での覇権を目論んでいたいたアメリカは日本が
邪魔だった。 だから、ソ連と協同でいろいろ裏工作をして日本に先にアメリカ
を攻撃せしめ、追いこもうとしたんだ」

 そう述べた上で、私は当時の時代背景を話します。 アメリカに石油輸出禁
止を突き付けられた日本は、戦争を回避しようと 最後の最後までアメリカの、
「暫定案」 に希望を託して譲歩を続けた。
 だが、アメリカはその暫定案を突然一蹴し、事実上の最後通帳「ハル・ノート」
を突き付けた。 日本は日米戦争に突入せざるを得なくなった。 真珠湾攻撃の
時、アメリカは暗号解読により日本艦隊の動きを完全に把握していた。 奇襲で
はなく、すべては、アメリカの意のままに動いていった・・・・・。
 真相が明らかになるにつれて、生徒たちの表情が見るいる変わっていくのが
分かります。 中には身を乗り出して聞き入っている者もいます。

 「ところうで」 と私は切りだします。
 「君たちは東条英機という名前を聞いたことがあるだろう」。
 多くの生徒が頷きます・ 彼らの中にあるのは、アメリカに戦争を仕掛け日本
を泥沼の戦争へと陥れた張本人のイメージです。

 「確かに東条英機は開戦時の首相だった。 だが、東条内閣は本当は、避戦
内閣だった。 避戦のための必死の努力をしたにもかかわらず、やむなく開戦へ
と追いこまれていったんだ。 国家総動員法も日独伊三国同盟も東條がやったこ
とではない。 特攻も東條が始めたのではない」

 ここで私は東条英機の一つのエピソードを紹介します。

 開戦前夜、自室でワアワアと大声を上げて慟哭したという実話です。 陛下の
ご意思に反して開戦を食い止められなかった無念さによるものであるということ
は申すまでもありません。 見るに忍びず勝子夫人がそっと部屋の障子を閉めた
という思い出を、孫の由布子さんが語っています。これは生徒たちも胸打たれる
様子でした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 短歌

   今日は夏至「この日は何をする日かね」お隣さんが会話をしてる

 俳句

    七月に入院すると友の電話

 川柳

   真実はどこにあるののわからない
スポンサーサイト

左サイドMenu

プロフィール

フェアリーグランマ

Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

ランキング

ブログ村のランキングに参加しています。応援してくれたら元気が出ます!
にほんブログ村 ポエムブログ 自作詩・自作ポエムへ にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村 にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村

flag counter

Flag Counter

最新記事

最新トラックバック

音楽