おばあちゃんのひとりごと

Entries

「お菓子の御用おへんか」 同じお菓子を売って三百年。

 アノネ 人間にとって、一番大事なものはなにか?
 そこを 原点として考えてゆけば あとは自然にわかってくるよ
                               相田みつを

 あのね。 今日散歩に出て途中で、220円のときどきよるコーヒー店
によってひと休み。 セルフサ―ビスなんだけれど、優しい人が一人お
られ私を見るといつも 「テーブルまでお持ちします」 と、声をかけてく
ださるのです。 満席だったけれど、一つ空いていたのでありがたい。
(私が、杖をついているからですが・・・。いつも その人は笑顔なんです)
 でもね。可笑しいのよ。 いろんな人がおられます。聞こえちゃうの。
 お隣に坐っての、お二人は、ずうっと、職場の方の悪口をいっておられ
もうとまらない。 介護関係のお仕事らしい。 それぞれにあるのよね。
 聞こうとしなくても聞こえますが、私は暢気な性格。まあいいか。
 みんないろいろあるもんです。 聞こえない。私のいい耳。
きっと そうやって話しているうちに、大事な大切なことがわかるんだよね。

  考え

 考えは
 いろいろあるから
 それぞれ いいもんです
 自分がいくら正しいと思い
 正しいと力説しても
 違うことがある

 なぜって
 だって みんな ちがうんですもの
 考え方はいろいろあるもんです
 みんな違うことが当たり前なんだ
 違うから 違う道ができる そうして
 いつぱい 気ずかされるんだ

 正しいと思ったら
 自分が 正しいと思うことを
 すればいい でも ハッとするかも
 でも ハッと気ずいたら
 ちょっと かんがえてみるといい
 そうなんかあ そうなんだな なんてね

 だって 大切なこと 大事なことは
 相手の気持ちや
 自分の気持ちや
 どれも これも が 正しいんだ
 なんだって 思い遣れてこそ
 大切な大事なものが見えてくるよ

--------------------------------------------------
歴史を紀行する
                   司馬遼太郎 著

 同じ菓子を売って三百年
 右のように、ふつうの街ならば歴史は博物館のおさまっているのだが、
京都の場合、知らねばならぬことは歴史は博物館に入らず、断絶する
こともせず、生きてつずいていることである。 それも、「百年以上」 と
いうけちなもんではない。紫野の大徳寺は臨済禅の巨刹でありかつて
は一個の政治勢力であり、、天正のむかし織田信長の葬儀がおこな
われたところであり、豊臣家に庇護された寺である。 ここの管長にな
るには二つの法脈(僧侶の系譜)のいずれかに属さなければならない
が、その二大閥の一つは北政所(きたのまんどころ)党であり、一つは
淀君党なのである。 豊臣家の閨閥あらそいは関ヶ原や大阪夏ノ陣で
おわったのではなく、大徳寺ではなおもつずいている。

 私は昭和24年の夏のある日、たまたま西本願寺の宗務所で茶をよ
ばれていた。 いつもこの宗務所のなか 「お菓子の御用はおへんか」
とジャンパー姿で御用をききまわっている青年があり、何度か顔を合わ
すうち、その青年と仲良くなった。 「いつごろから菓子を売りにきている
の」 とつい失礼なことを、---あとで思えば、---きいた。 父親
の代からか、それとも一年か二年前にこの青年が販路を開拓したもの
だろうと思ってきいてみたところ、天正時代からどす、といわれたのに、
息がとまるおもいがしました。 三百数十年前、戦国のたけなわのころ
である。

 織田信長と、当時摂津の石山(大阪)に本山を持ていた本願寺と戦
ったのは石山合戦といわれているが、この十一年にわたる長期戦は、
ある意味では戦国の優勝者を決めるチャンピオン戦だったといえるだ
ろう。 そのとき本願寺の兵糧方をつとめていたのが、この青年の先
祖であった。 
 天正八年、信長とのあいだに降伏的な和睦が成り、法王顕如が、
落人同然の境涯で紀州鷺ノ森(和歌山市)へ退却したとき、この青
年の先祖もつき従ったという。 その道中、法王をなぐさめるために
菓子を調整してさしあげた。ほしいいを蒸して甘味をつけた、ちょっ
とカステラに似た菓子である。 法王はその美味をよろこび、おりか
ら松の枝を南海の浜風がしきりに鳴らしていたので、「松風」 という
名をあたえた。

 以後、豊臣の世になって本願寺はその流亡の境涯をすくわれ、前
記のように京の西六条の地をあたえられ、はじめて京を本拠にした
この 兵糧方もついて京に入り、本願寺の前で菓子司として釜をすえ、
いらい数世紀、いまもって、 「お菓子の御用おへんか」 と本願寺の
なかをまわっている。

 京都は、そういうところである。それに、風狂がくわわっている。

 「うちは、お狸はんが出やはるのどすえ」
 と、大まじめに語ってくれたのは、岡崎あたりの旅館主で、かっては
祇園の名妓といわれたひとである。 出るのは彼女の部屋で、寝てい
ると、夜更けに気配がしてうしろから抱きつくという。 そのおかみの
お嬢さんが、そんなあほなこと、いまどき、おすかいな、と笑い、念の
ためその部屋に寝てみると同様の目に遭い、いよいよお狸はんや、
きっとお嫁がほしいのにちがいないと思い、めすの陶器製の狸をさが
し、ちゃんと興入れの支度をしてもらい、行列も組み、神主つきそいの
上で嫁取りをした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 しかし 歴史って凄い。 また その中での老舗。 また いろんなことも。
 歴史の中で何百年も続いている。 いろいろ 素晴らしい日本です。
 狸の話しは、近所で狸山という地名も、昔はあって、亡き父がまことしや
かに化かされている人が通って行くのを見た話をしてくれてね。 信じてま
した。 だって 亡き父が話すことは、いまも本当だと思っているのです。
 情景までが浮かぶのです。 たぶん ほんとうに父は見たと思うのよ。
 うっふふ。いいものです。 子どもの頃に耳にした本当の話しでしもの。

 短歌

   亡き父が話してくれた狸のこと老いて今でも思いだすなり

 俳句

  だんだんと夏の月なり半月や

 川柳

  暑いいま今にすぐ寒くなる 
 
 
スポンサーサイト

左サイドMenu

プロフィール

フェアリーグランマ

Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

ランキング

ブログ村のランキングに参加しています。応援してくれたら元気が出ます!
にほんブログ村 ポエムブログ 自作詩・自作ポエムへ にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村 にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村

flag counter

Flag Counter

最新記事

最新トラックバック

音楽