おばあちゃんのひとりごと

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ベート―ヴェンは一度として演奏された「第九」を聞いたことがない。

 すべてのものは うつりゆく おこたらず つとめよ。
                         お釈迦さま 


 長生きしないと見えない世界というものもある。
                         坂村真民

  おこたらず つとめよ。 ね。 そうですよね。 おこたってばか
りのわたしでした。 長生きはできそうなので、見える世界をみな
いと・・・。 がんばろう、是非、長生きをしてね。 いま。
 老いて暇ができ、ときどき亡き父母のことを思いだす。 自分の
父母より舅姑との生活の方が永いというに、そして躾というならば
婚家でのほうが人格というか世間を渡るというか、厳しく教わった
が、それも今思えばありがたいし、亡き父母は深いただ見守るだ
けの愛、優しくいつも安心だった。 懐かしく亡くなって久しいとい
うに、季節が変わるごとに幼の日が浮かぶ。 秋には、障子張り、
布団作り 冬支度やら、旧い遠い日の田舎の風景。 もちろん
亡舅姑との思い出も数々多し・・・・。 いいもんです。
 ありがたい。ありがたい。 感謝ばかりの過去。
 私が嫁いだころ、父はいくつだったかしら? 60代後半かな?
70代前半かな? 当時、父は、税理士をしていましたが、さびし
がって、毎日仕事が手に付かず、庭の池のそばの庭石にかけて、
ボーとしていたと言う。 よほど私が良かったのか(冗談)、たぶん
未熟者の私を案じたか、元気のいい私が嫁いでよほどさびしかっ
たのか。 ガックリと力を落とし・・・何もできずに2~3ヵ月は仕事
も手つかずだったとか(私は知らずにいた) 明治生まれの父母。
もうみんな逝き、妹や母が、「お父ちゃんが心配だっただよ・・・・。」
 と、
 数年してその話を聞いたのだが、親とはなんといいものなんで
しょうね。 深い愛情に包まれていたな、と、涙します。
 自分のことばかりだった・・・若き日・・・。
 親不幸な私、親孝行もできぬままに、父が逝き、母も追うように
逝きました。 そのときは、ホント、泣いてうろたえました。 
 亡くなったころは、まだ まだ 甘えていたのでしょうね。泣きに
泣いたですね。 心の準備ができてなかったのです。 
 泣いちゃいました。 
 
 老いて逝くのは当然で喜んで見送ってあげなくてはね。思えば、
心配をかけたまま、逝かせてしまい、両親に謝りたく思うのです。 

 秋とはいろいろ思うものです。
 
 自分がそろそろ逝く年 (本当は百歳まで生きれそうな私) に、
なり 私は 逝くが逝くまで心配かけちゃったな。 と反省しつつ
・・・。
 私は、私が逝くときは、子ら夫婦や孫らが、「いいよ。いいよ。」
「おばあちゃんは、よく 頑張って生きたから、もう、逝っていいよ。
大丈夫だよ!」 って、笑って見送ってもらおうと思っている。
 
 しかしながら、そればかろは思うようにはならないから。
 逝くことくを 選べはしないから、ゆっくりと堂々と、そうなるんだ
と脳に描いているのです。  そして、信じてあかるく楽しくいきて
いるのです。
 この一休禅師さんのこのお歌が好きです。 ひとり笑うのです。
 
 いま死んだどこへも行かぬここにおるたずねはするなよものはい
 わぬぞ
                             一休禅師

 うっふふ。 楽しいでしょう。 ほんと何処にもいかずにここにおる
んでしょうね。 安心したら、何処かにゆくのでしょうね? ふふふ。

  おおいなる自然

   種が飛ぶ 飛んでいく
   どこかに あちこちに 
   いっぱい 芽を出す 
   強い たくましい
   生きているよ

   育ちゆく 太陽にむかい
   あらゆるところに
   蕾となり ふくらみ 
   美しい 花となる その花は
   いつか 散りゆく そのあとに

   実をならせ
   その実は 見事な種をうみ
   その種は 強くたくましく
   また 飛んでいく 
   そこに居場所をつくり
   
   人も自然とおんなじに
   出会いのなかで 育ちゆく
   幸の種 不幸の種 いろいろに
   与えられたなかで懸命に 
   太陽に向かう 

   大いなる自然に
   すべての自然に
   感謝だな
   こうして たくましく生きる
   生かさせていただける
 
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人生に必要な知恵はすべて
幼稚園の砂場で学んだ          ロバート・フルガム 著

 塞ぎの虫の特効薬

 懇意にしているある女性から電話をもらった。陰鬱な真冬の気候
のせいで、彼女はすっかり塞ぎの虫に取り憑かれていた。 おまけ
にぐずぐずしているという。
 「でも」 彼女はかすれて声で言った。 「あなたは気が滅入るな
んてこと。ぜんぜんないでしょう」
 「どういたしまして」 わたしは答えた。 「しょちゅう落ち込んでい
るよ。 どん底まで落ち込んだ時には消防用の機械梯子でも以って
来なきゃあ這い上がれないくらい」
 「そういう時、あなたはどうするの?」 と彼女は尋ねた。
 「だから、具体的に、どうやってあなたはそこから抜け出すの?」
 こんなふうにずばりと訊かれたのははじめてだった。 たいていは、
どうしたらいいと思うかという相談である。

 私の場合の塞ぎ虫特効薬は信仰でもなければヨガでもない、ラム
酒でも昼寝でもない。 ベートーヴェンである。 ルートヴィヒ・ヴァン・
ベートーヴェン。 わたしはベートーヴェンの「第九」のレコードをかけ
ヘッドフォンをしっかり耳にあてがってとこに横たわる。 天地創造第
一日といった雰囲気で曲がはじまる。

 聞きながら、わたしはベートーヴぇンのことを考える。 苦悩と悲運
を知りつくした人間である。 ベーと―ヴェンは安住の場を探し求めて
模索の生涯を送った。 愛は実らず、友人たちとはことごとに対立した。
甥の後見人として心労の絶える暇はなかった。ベートーヴェンは弟の
息子である子の出来の悪い甥を本当に大事にした。
 ベートーヴェンはピアニストとして聴衆の前で弾くことを望んでいた。
歌手になることも考えた。 ところうが、若くして難聴に冒されたので
す。 ピアニストや歌手にとっては、致命的である、48歳を迎えた、、
1818年には、ベート―ヴェンの耳は完全に聞こえなくなっていた。そ
れを思うと、5年後にこの 「第九」 が書き上げられたことはただただ
驚嘆のほかはない。 これだけの曲を書いておきながら、べートーべ
ェンは一度として演奏された 「第九」 を聞いたことがない。 その響
きを心に思い浮かべただけである。

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 こんな 私もときどきなりますね。 どうしようもなくね。 いい方法
はそれぞれ自分が考え、工夫することなんでしょうね。 

 短歌

   夕方は鴉の鳴いて巣にいくか知らせるy如く騒ぎおるなり

 俳句

   カフェでのちょっとの出会い秋の日や

 川柳

   冥土への道は迷えば地獄かな
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フェアリーグランマ

Author:フェアリーグランマ
ひとり暮らしのおばあちゃんですが、毎日を詩や短歌を作って楽しんで暮らしています。

心に残った本の一節を御紹介させて頂いております。

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